落語家の柳家喜多八さん死去
柳家 喜多八さん(やなぎや・きたはち、本名林寛史=はやし・ひろふみ=落語家)17日午後11時17分、がんのため東京都内の病院で死去、66歳。
東京都出身。葬儀は近親者で済ませた。喪主は妻美子(よしこ)さん。
77年柳家小三治に入門。93年に真打ちに昇進した。
時事通信
66歳は若い。
一番落語に通いつめていた学生時代、小よりという名の前座時分に見たのを覚えているが前座は記録が残っていないので。
小八で二つ目時代は寄席・落語が縁遠くなっていた頃で見ていない。
だからかもしれないが、10歳も歳上だとは知らなかった。
学習院大卒の毛深い噺家さんでした。
観賞記録は以下のたった4席。
あくび指南 平成13年8月18日 鈴本演芸場
小言念仏 平成22年12月6日 末広亭
(毛深) 平成24年12月4日 池袋演芸場
石松三十石道中 平成26年2月2日 末広亭
毛深は落語家として毛深い事がハンデであるという嘆き調の漫談ぽいネタだったと思う。
石松三十石道中を聴いて虎造が聴きたくなり、一頃YOU TUBEで聴きまくったもんです。
そのように毛色の変わったネタを聴く機会があったけれど、もう少し柳派の古典も聴きたかったな。
ご冥福をお祈りいたします・・・
柳家 喜多八さん(やなぎや・きたはち、本名林寛史=はやし・ひろふみ=落語家)17日午後11時17分、がんのため東京都内の病院で死去、66歳。
東京都出身。葬儀は近親者で済ませた。喪主は妻美子(よしこ)さん。
77年柳家小三治に入門。93年に真打ちに昇進した。
時事通信
66歳は若い。
一番落語に通いつめていた学生時代、小よりという名の前座時分に見たのを覚えているが前座は記録が残っていないので。
小八で二つ目時代は寄席・落語が縁遠くなっていた頃で見ていない。
だからかもしれないが、10歳も歳上だとは知らなかった。
学習院大卒の毛深い噺家さんでした。
観賞記録は以下のたった4席。
あくび指南 平成13年8月18日 鈴本演芸場
小言念仏 平成22年12月6日 末広亭
(毛深) 平成24年12月4日 池袋演芸場
石松三十石道中 平成26年2月2日 末広亭
毛深は落語家として毛深い事がハンデであるという嘆き調の漫談ぽいネタだったと思う。
石松三十石道中を聴いて虎造が聴きたくなり、一頃YOU TUBEで聴きまくったもんです。
そのように毛色の変わったネタを聴く機会があったけれど、もう少し柳派の古典も聴きたかったな。
ご冥福をお祈りいたします・・・