4月から始まっていたこの展覧会。7月まで充分な期間やっているのでどこかで行ってみようと思っていて気付いたらこの日が最終日じゃないですか。
ある程度の混雑を覚悟の上、楽日に滑り込み鑑賞。
ボイスマン美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展
ブリューゲルと16世紀フランドル絵画の魅惑の世界
東京都美術館到着すると待ち時間は約40分。
会場は3フロア構成
まず地下から16世紀ネーデルランド絵画。
牛歩の如く進まぬ列に嵌って一点一点宗教画を丁寧に鑑賞していたら既にここで疲れてしまった。時間もかかったし。
むしろ目当てであった1階のヒエロニムス・ボスの寓話的な幻想画をじっくり観る事を諦め流してしまった。逆でしたな。
かなりうにょうにょ怪人怪物の姿が描かれる一大絵巻風になってるので時間をかけてくまなく飽きずに観る事が可能なはずなのに。
ボスの影響を受けた画家たちの、というよりもお弟子さんたちの、所謂ボス・プロダクションとしての仕事もかなり多く展示されてる。皆ひっくるめてヒエロニムス・ボスで良いと思うが・・・
2階に上ってついに「バベルの塔」にご対面。
名画とかなんとかよりこの旧約聖書からの題材が良いのよね。
それまでにも多くの画家が手掛けてきた中でその緻密さや物語性は群を抜いてるようです。
今年はちょうど「メッセージ」という映画がいたく気に入って、元となったテッド・チャンの中短編集を買って読んでいた(おー!なんと老眼に鞭打って久しぶりの読書挑戦)ら巻頭の一遍が「バビロンの塔」という奴。これが哲学的建築学的な要素、つまり読んでいても一向に頭に入ってこないのを我慢して読み続けていると、突如面白い場面が浮かび上がってくるという大変好ましいシロモノだったのよ。その後また読書の頓挫してしまってるけど。老眼のせいにしてるけど、本当のところは読書に時間を割く気がおきてないだけなんだな。
__________
バベルの塔
『旧約聖書』「創世記」に記されたれんが造りの高い塔。物語によれば、人類はノアの大洪水ののち、シナル(バビロニア)の地にれんがをもって町と塔を建て、その頂を天にまで届かせようとした。神はこれをみて、それまで一つであった人類の言語を乱し、人間が互いに意志疎通できないようにしたという。この物語の背景には文化史的な事実がある。というのは、古代メソポタミアにおいて、各大都市はジッグラトとよばれる壮麗な塔を日干しれんがで建造し、そこで種々の宗教祭儀を行っていたからである。この事実は考古学的発掘によって証明されている。政治的、経済的、文化的に劣る古代イスラエル人は、この塔を見聞したとき、これにあこがれるのでなく、むしろこういった文明の背後に潜む人間の自己過信や高ぶりを見抜こうとしたのであろう。また、このような大建造物をもって威圧する政治権力が、結局は人々を一致させるどころか分裂させていくということを悟った。
こうした文明批判から生まれたのがバベルの塔の物語である。「バベルの塔」は比喩(ひゆ)的に人間の高ぶりの業(ごう)の意味で用いられる。また、西欧近世の絵画にしばしばみられるバベルの塔にも、同様の文明批判が込められていることが多い。バベルはバビロンとバラル(乱す)の語呂(ごろ)合せである。[月本昭男]
『前田護郎著『ことばと聖書』(1963・岩波書店)』
__________
ホンモノは意外と号数小さく、拡大複製の方が迫力あったりもする。そっちの方がゆっくり観れるし。
現代においては3DCGの技術を活用して細部を動かしてみせたりする映像展示がなかなか興味深くて良かった。
「ソドムとゴモラの滅亡がある風景」1520 ヨアヒム・パティニール
やはり油彩は本物に到底敵いませぬ。
「聖アントニウスの誘惑」1556年 ピーテル・ブリューゲルⅠ世、彫版:ピーテル・ファン・デル・ヘイデン
線画ならポストカードでも楽しい。
お土産コーナー物色でまた時間を多く費やす。図録は高いので当然パス。例によってポストカードを数点に留める。しかし今回はボスの怪物フィギュアやバベルの塔のスノードームはともかくも、ボス画の色とりどりのTシャツに大層心動かされる。迷った挙句、色とデザインとサイズの組合せが上手いこと行かず断念。予算も無いしまぁ良いでしょ。
別途美術館のグッズコーナーで怪物画のカンバッチのガチャガチャがあったので200円投入で1個だけゲト。展示会場内のガチャはピンバッヂで300円でした。
これで東京はおしまい。7月18日からは大阪です。
さて来年はブリューゲル展が開催されるそうですから気が向いたらまた来てみましょう。
上野 東京都美術館
ある程度の混雑を覚悟の上、楽日に滑り込み鑑賞。
ボイスマン美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展
ブリューゲルと16世紀フランドル絵画の魅惑の世界
東京都美術館到着すると待ち時間は約40分。
会場は3フロア構成
まず地下から16世紀ネーデルランド絵画。
牛歩の如く進まぬ列に嵌って一点一点宗教画を丁寧に鑑賞していたら既にここで疲れてしまった。時間もかかったし。
むしろ目当てであった1階のヒエロニムス・ボスの寓話的な幻想画をじっくり観る事を諦め流してしまった。逆でしたな。
かなりうにょうにょ怪人怪物の姿が描かれる一大絵巻風になってるので時間をかけてくまなく飽きずに観る事が可能なはずなのに。
ボスの影響を受けた画家たちの、というよりもお弟子さんたちの、所謂ボス・プロダクションとしての仕事もかなり多く展示されてる。皆ひっくるめてヒエロニムス・ボスで良いと思うが・・・
2階に上ってついに「バベルの塔」にご対面。
名画とかなんとかよりこの旧約聖書からの題材が良いのよね。
それまでにも多くの画家が手掛けてきた中でその緻密さや物語性は群を抜いてるようです。
今年はちょうど「メッセージ」という映画がいたく気に入って、元となったテッド・チャンの中短編集を買って読んでいた(おー!なんと老眼に鞭打って久しぶりの読書挑戦)ら巻頭の一遍が「バビロンの塔」という奴。これが哲学的建築学的な要素、つまり読んでいても一向に頭に入ってこないのを我慢して読み続けていると、突如面白い場面が浮かび上がってくるという大変好ましいシロモノだったのよ。その後また読書の頓挫してしまってるけど。老眼のせいにしてるけど、本当のところは読書に時間を割く気がおきてないだけなんだな。
__________
バベルの塔
『旧約聖書』「創世記」に記されたれんが造りの高い塔。物語によれば、人類はノアの大洪水ののち、シナル(バビロニア)の地にれんがをもって町と塔を建て、その頂を天にまで届かせようとした。神はこれをみて、それまで一つであった人類の言語を乱し、人間が互いに意志疎通できないようにしたという。この物語の背景には文化史的な事実がある。というのは、古代メソポタミアにおいて、各大都市はジッグラトとよばれる壮麗な塔を日干しれんがで建造し、そこで種々の宗教祭儀を行っていたからである。この事実は考古学的発掘によって証明されている。政治的、経済的、文化的に劣る古代イスラエル人は、この塔を見聞したとき、これにあこがれるのでなく、むしろこういった文明の背後に潜む人間の自己過信や高ぶりを見抜こうとしたのであろう。また、このような大建造物をもって威圧する政治権力が、結局は人々を一致させるどころか分裂させていくということを悟った。
こうした文明批判から生まれたのがバベルの塔の物語である。「バベルの塔」は比喩(ひゆ)的に人間の高ぶりの業(ごう)の意味で用いられる。また、西欧近世の絵画にしばしばみられるバベルの塔にも、同様の文明批判が込められていることが多い。バベルはバビロンとバラル(乱す)の語呂(ごろ)合せである。[月本昭男]
『前田護郎著『ことばと聖書』(1963・岩波書店)』
__________
ホンモノは意外と号数小さく、拡大複製の方が迫力あったりもする。そっちの方がゆっくり観れるし。
現代においては3DCGの技術を活用して細部を動かしてみせたりする映像展示がなかなか興味深くて良かった。
「ソドムとゴモラの滅亡がある風景」1520 ヨアヒム・パティニール
やはり油彩は本物に到底敵いませぬ。
「聖アントニウスの誘惑」1556年 ピーテル・ブリューゲルⅠ世、彫版:ピーテル・ファン・デル・ヘイデン
線画ならポストカードでも楽しい。
お土産コーナー物色でまた時間を多く費やす。図録は高いので当然パス。例によってポストカードを数点に留める。しかし今回はボスの怪物フィギュアやバベルの塔のスノードームはともかくも、ボス画の色とりどりのTシャツに大層心動かされる。迷った挙句、色とデザインとサイズの組合せが上手いこと行かず断念。予算も無いしまぁ良いでしょ。
別途美術館のグッズコーナーで怪物画のカンバッチのガチャガチャがあったので200円投入で1個だけゲト。展示会場内のガチャはピンバッヂで300円でした。
これで東京はおしまい。7月18日からは大阪です。
さて来年はブリューゲル展が開催されるそうですから気が向いたらまた来てみましょう。
上野 東京都美術館