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訃報 月亭可朝

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月亭可朝さん死去 80歳…急性肺線維症 「嘆きのボイン」で一世風靡

カンカン帽で「嘆きのボイン」を歌った落語家の月亭可朝(本名・鈴木傑=すずき・まさる)さんが3月28日に急性肺線維症のために兵庫県内の病院で亡くなったことが9日、分かった。80歳だった。高校を卒業後に3代目林家染丸に入門するも女性問題を起こして破門。人間国宝だった3代目桂米朝にひろわれ、米朝一門の筆頭弟子となった。1969(昭和44)年にコミックソング「嘆きのボイン」を発売し大ヒット。その後も国政選挙への出馬と落選、ストーカー事件で逮捕されるなど破天荒な生きざまを貫いた。通夜、葬儀・告別式は故人の意思で密葬で営まれた。

最近の可朝さんは昨年11月に33年ぶりの新曲が入ったCD「ザ・月亭可朝ベスト+新曲」(Pヴァイン)を発売。同月24日には東京・渋谷のライブハウスで、同25日には四谷のライブハウスでギターを片手に演奏したり、漫談を披露した。今年1月4日には大阪・難波のライブハウスに出演する予定だったが、体調不良を理由にキャンセルしていた。

可朝さんは1938(昭和13)年神奈川県生まれ。幼少期に大阪に転居した。1958(同33)年に染丸に入門し染奴を名乗った。しかし、女性問題を起こして破門。米朝さんに入門を勧められて入門し、小米朝を名乗った。その後、初代月亭可朝と改名した。弟子に月亭八方、孫弟子に八光、方正がいる。

「嘆きのボイン」はMBSラジオから大阪府箕面市のプールでのイベントに出演するよう請われ、歌ったことがきっかけで誕生した。前夜にマージャンをしながら何をやろうかと考え、「プールやから水着やし、ボインや」と連想して一気に考えた。歌うと予想外にうけ、レコード化がすぐに決まった。

カンカン帽をかぶってギターを手にし「ボインは赤ちゃんが吸うためにあるんやで~」という歌詞は衝撃的で一世風靡した。現在でも可朝さんの代名詞となっている。2017年に新しいバージョンを録音、CD発売した。

可朝さんは1971年、参院選に出馬し、一夫多妻制の公約を掲げて落選した。2008年には知人女性へのストーカー規制法違反で逮捕された。最近は兵庫県西宮市内で独り暮らし。足腰が弱っていたが、時折、落語会に出演するほかは静かに暮らしていた。

デイリースポーツ
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「ほんまにほんまにほんまでっせ」
可朝といえば嘆きのボインだが、この最初から最後まで「ほんまにほんまにほんまでっせ」だけしか言わない高座がバカバカしくて無性に好きでした。



そのエンターテイメント性を評価していた談志家元は可朝が問題を起こしても常に擁護していました。
野球賭博で謹慎していた時(謹慎が溶けてすぐだったか)独演会に呼んで飛び入りで高座に上げたので私もこの上方落語家の舞台を一度だけ生で見る事ができた。
細かい事は忘れてしまったが、マクラで「嘆きのボイン」も披露してくれたと思う。談志を追いかけているとこういう幸運に恵まれる事があって、これはアダチ龍光先生に次いで得した感のあるハプニングだった。






最近の活動については全く知らなかったがかなり落語を精力的(?)にやっていたようですね。なにしろトレードマークのカンカン帽を脱いで演じたっていうのですから。


月亭可朝 「出てきた男」


昭和54年12月27日 立川談志独演会 「坊主茶屋」

ご冥福をお祈りいたします。

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