ジーン・バッキー氏死去 元阪神、外国人初の沢村賞投手
プロ野球阪神で日本通算100勝を挙げ、外国人選手として初めて沢村賞を獲得したジーン・バッキー氏(82)=米国=が14日(日本時間15日未明)、死去したことがわかった。家族によると、米ルイジアナ州ラファイエット市内のホスピスで息を引き取ったという。
バッキー氏は1937年8月12日生まれ、米ルイジアナ州出身。サウスウエスタン・ルイジアナ大からマイナーリーグを経て62年8月に阪神にテスト入団。上手、横手からの変幻自在な投法とナックルボールを武器に、64年に29勝9敗、防御率1・89で最多勝、最優秀防御率を獲得し、外国人選手初の沢村賞を受賞。チームを優勝に導いた。1965年6月28日の巨人戦(甲子園)ではノーヒットノーランを記録。69年に近鉄に移籍し、同年引退。通算8年で251試合登板、100勝80敗、防御率2・34。
今月13日に引退を発表した阪神のランディ・メッセンジャー投手はNPB通算98勝。通算100勝のバッキーの記録を目標としており、交流があった。
ライブドアニュース
_____________________
苦しめられたメッセンジャー投手の引退の報にほっとしていたら飛びこんできたニュース。
ご冥福をお祈りいたします。
流石に阪神の優勝、沢村賞、ノーヒットノーランの偉業には間に合ってない。
投手で背番号4というのが珍しく、好きでした。
自分らの世代なら忘れられないのが68年9月18日甲子園での巨人戦乱闘事件だろう。
あれはテレビ中継の始まる前だったんだろうか。私は父親のステレオにラジオが付いていて、それでもってずーっと聞いていた憶えがある。
あの頃はもうアンチGだったろうか。まだG応援だったろうか、丁度過渡期の頃。自分にとって巨人ファンだった最初の数年はファン歴の黒歴史ですので、阪神の方を応援していたと記憶操作をしておきましょう。
王退場!王退場!のコールに、凄い事になってるとワクワクしたもので、翌日学校ではバットを持ったままツカツカとマウンドに歩み寄る王の真似をみんなやっていた。
子供が見ているので乱闘は教育上よろしくないなんて意見があるが、まさに子供のぼくらは真似をした。教育上よろしくない事ほど面白いものは無いではないか。
このエピソードはアニメ「巨人の星」でも取り上げられているが、少年マガジン連載中にも取り上げられていたような気もする。記憶違いでしょうか。「王退場!王退場!」のマンガ文字が鮮明なんですけど。エピソードとしてはその後、静かに燃える男N島がカッコ良く本塁打を放つ(事実だけど)ので好きじゃないけど、現実の事件を取り入れるアニメには夢中になったもんだ。
アンチGにとってN島は天覧試合といい、この乱闘事件といい、とにかく苦々しく憎むべき存在である。
あの頃のプロ野球はプロレスほどでは無いにしろ、ある程度興行的な筋書きがあったに違いないと睨んでいる。
ちなみに王にデッドボールをくらわしたのは、バッキーさんじゃなくて権藤正利投手。
バッキーさんはこの乱闘が元で選手生命を終わらせている。
あの頃の野球は周囲が巨人一辺倒だったのは気に食わないが確かに面白かった。そんな事を思い出した。
プロ野球阪神で日本通算100勝を挙げ、外国人選手として初めて沢村賞を獲得したジーン・バッキー氏(82)=米国=が14日(日本時間15日未明)、死去したことがわかった。家族によると、米ルイジアナ州ラファイエット市内のホスピスで息を引き取ったという。
バッキー氏は1937年8月12日生まれ、米ルイジアナ州出身。サウスウエスタン・ルイジアナ大からマイナーリーグを経て62年8月に阪神にテスト入団。上手、横手からの変幻自在な投法とナックルボールを武器に、64年に29勝9敗、防御率1・89で最多勝、最優秀防御率を獲得し、外国人選手初の沢村賞を受賞。チームを優勝に導いた。1965年6月28日の巨人戦(甲子園)ではノーヒットノーランを記録。69年に近鉄に移籍し、同年引退。通算8年で251試合登板、100勝80敗、防御率2・34。
今月13日に引退を発表した阪神のランディ・メッセンジャー投手はNPB通算98勝。通算100勝のバッキーの記録を目標としており、交流があった。
ライブドアニュース
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苦しめられたメッセンジャー投手の引退の報にほっとしていたら飛びこんできたニュース。
ご冥福をお祈りいたします。
流石に阪神の優勝、沢村賞、ノーヒットノーランの偉業には間に合ってない。
投手で背番号4というのが珍しく、好きでした。
自分らの世代なら忘れられないのが68年9月18日甲子園での巨人戦乱闘事件だろう。
あれはテレビ中継の始まる前だったんだろうか。私は父親のステレオにラジオが付いていて、それでもってずーっと聞いていた憶えがある。
あの頃はもうアンチGだったろうか。まだG応援だったろうか、丁度過渡期の頃。自分にとって巨人ファンだった最初の数年はファン歴の黒歴史ですので、阪神の方を応援していたと記憶操作をしておきましょう。
王退場!王退場!のコールに、凄い事になってるとワクワクしたもので、翌日学校ではバットを持ったままツカツカとマウンドに歩み寄る王の真似をみんなやっていた。
子供が見ているので乱闘は教育上よろしくないなんて意見があるが、まさに子供のぼくらは真似をした。教育上よろしくない事ほど面白いものは無いではないか。
このエピソードはアニメ「巨人の星」でも取り上げられているが、少年マガジン連載中にも取り上げられていたような気もする。記憶違いでしょうか。「王退場!王退場!」のマンガ文字が鮮明なんですけど。エピソードとしてはその後、静かに燃える男N島がカッコ良く本塁打を放つ(事実だけど)ので好きじゃないけど、現実の事件を取り入れるアニメには夢中になったもんだ。
アンチGにとってN島は天覧試合といい、この乱闘事件といい、とにかく苦々しく憎むべき存在である。
あの頃のプロ野球はプロレスほどでは無いにしろ、ある程度興行的な筋書きがあったに違いないと睨んでいる。
ちなみに王にデッドボールをくらわしたのは、バッキーさんじゃなくて権藤正利投手。
バッキーさんはこの乱闘が元で選手生命を終わらせている。
あの頃の野球は周囲が巨人一辺倒だったのは気に食わないが確かに面白かった。そんな事を思い出した。