西村賢太さん死去、54歳 私小説作家、芥川賞「苦役列車」
「破滅型」といわれる作風の私小説で知られ、「苦役列車」で芥川賞を受賞した作家の西村賢太(にしむら・けんた)さんが5日午前、東京都内の病院で死去した。54歳だった。関係者によると、4日夜にタクシー内で意識を失い、病院に運ばれたという。
1967年、東京都生まれ。中学時代に不登校となり、高校進学はせず、港湾荷役や警備員などの仕事をしながら古書店に通った。私小説にのめりこみ、大正期の作家で同じく破滅型といわれた藤澤清造に心酔した。
2003年、同人雑誌「煉瓦(れんが)」で小説を書き始め、翌年発表の「けがれなき酒のへど」が文芸誌「文学界」に転載。その後、相次いで作品を発表し、07年には「暗渠(あんきょ)の宿」で野間文芸新人賞を受賞した。
11年、日雇い労働で糊口(ここう)をしのぐ若者の屈折を描いた「苦役列車」で芥川賞を受賞。翌年に映画化もされた。
藤澤の菩提(ぼだい)寺の浄土宗西光寺(石川県七尾市)への墓参を続けた。後年まで「藤澤らの私小説に救われてきた」との思いを強く抱き、代表作「根津権現裏」を復刊させたほか、短編集の編集も担当した。
時事通信______________________
ここ数年、老眼を理由に(本当は老眼よりスマフォの方が原因なのだけど)すっかり活字、読書から遠ざかってしまっているので近作は読めていないが、年下の小説家で一番好きだったのでショックです。自分を最後に夢中にさせてくれた作家さんって事になりそうです。あまり長生きのイメージが沸かない方ですが54とは早すぎる。タクシーの中で、というのもいかにも。どんな感じで死んでいったんでしょうね。出来たら北町寛太として私小説化して欲しかった。敵わぬ事です。祥月命日の5日にはお墓詣りに行きたいですね。行かないけど。そこまで心酔してはない。合掌。
「破滅型」といわれる作風の私小説で知られ、「苦役列車」で芥川賞を受賞した作家の西村賢太(にしむら・けんた)さんが5日午前、東京都内の病院で死去した。54歳だった。関係者によると、4日夜にタクシー内で意識を失い、病院に運ばれたという。
1967年、東京都生まれ。中学時代に不登校となり、高校進学はせず、港湾荷役や警備員などの仕事をしながら古書店に通った。私小説にのめりこみ、大正期の作家で同じく破滅型といわれた藤澤清造に心酔した。
2003年、同人雑誌「煉瓦(れんが)」で小説を書き始め、翌年発表の「けがれなき酒のへど」が文芸誌「文学界」に転載。その後、相次いで作品を発表し、07年には「暗渠(あんきょ)の宿」で野間文芸新人賞を受賞した。
11年、日雇い労働で糊口(ここう)をしのぐ若者の屈折を描いた「苦役列車」で芥川賞を受賞。翌年に映画化もされた。
藤澤の菩提(ぼだい)寺の浄土宗西光寺(石川県七尾市)への墓参を続けた。後年まで「藤澤らの私小説に救われてきた」との思いを強く抱き、代表作「根津権現裏」を復刊させたほか、短編集の編集も担当した。
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ここ数年、老眼を理由に(本当は老眼よりスマフォの方が原因なのだけど)すっかり活字、読書から遠ざかってしまっているので近作は読めていないが、年下の小説家で一番好きだったのでショックです。自分を最後に夢中にさせてくれた作家さんって事になりそうです。あまり長生きのイメージが沸かない方ですが54とは早すぎる。タクシーの中で、というのもいかにも。どんな感じで死んでいったんでしょうね。出来たら北町寛太として私小説化して欲しかった。敵わぬ事です。祥月命日の5日にはお墓詣りに行きたいですね。行かないけど。そこまで心酔してはない。合掌。