もう今年は落語会や寄席に一度も足を運ぶことなく終わるんだな、それはそれで良いなと思っていたが師走のどん詰まりになってチケットを取ってしまった。
以前ほどチケットの取りにくい状況は緩和されてるようです。
立川談春師の生落語はなんと2010年3月以来の12年ぶりじゃないですか。
今回は「いままでの芝浜、これからの芝浜」という事で芝浜を2種類。
皆、年末の噺というと「芝浜」好きだよね。私ものめりこむきっかけが三代目三木助だったけど。
談春の芝浜は何年ぶりだろうと記録を遡ったところ、なんと聴いてませんでした。すっかり聴いた気になってたんですね。
まずは、
2022年(令和4年)12月7日(夜の部)
「いままでの芝浜、これからの芝浜」
有楽町 朝日ホール
開口一番 立川こはる 「黄金の大黒」
立川談春 「うどんや」
中入り
立川談春 「(いままでの)芝浜」
まず、立川こはるが来年5月に真打昇進との事。おめでとうございます。
名前も立川小春志(こしゅんじ、と濁る)と改めるそうです。
こはるが漢字になって残り師匠の春と大師匠談志の志だって、なんて大それた名なんでしょう。
10年くらい前には勉強会に通った縁もあるので、どこかで真打披露興行に参戦してあげようと思う(あげようたってご祝儀持ってくわけじゃないんだけどさw)
「うどん屋」は酔っ払いの件がしつこい印象があったのだけど、流石に聴かせるなぁ。良い「うどん屋」に巡り合えた。
談春の「芝浜」は今までのでも十分工夫を加えてあったんですね。他の人とは随分違う。師匠のとも違う。
嘘を付きとおしたおかみさんを勝五郎は簡単には許せない。
上手いし凄いし説得力や感心、感動もあるけど好き嫌いは別で談志にしても談春にしても「文七」の方が好きだとあらためて思う次第。
でも、翌週の「これからの芝浜」も予定してて楽しみ。
2022年(令和4年)12月13日(夜の部)
「いままでの芝浜、これからの芝浜」
有楽町 朝日ホール
開口一番 立川こはる「だくだく」
立川談春 「除夜の雪」
中入り
立川談春 「(これからの)芝浜」
来年真打ちになる噺家(二つ目)が開口一番って贅沢。開口一番は前座がやるってわけじゃなく最初に上がって高座を務めるという意味なんですね。談春師のところは弟子がこはるだけだから・・・
「だくだく」目の悪い泥棒が描いてある絵だと気づいた時「ははぁ、貧乏で家財道具が揃わないから絵に描いてそのつもりになってやがんだな」と言わせないから、その後のつもり、つもり、が唐突に感じてしまったよ。
談春の噺は何だろう?と聴いていたが途中で気付いた「除夜の雪」だ。「赤めだか」に出てくる噺で、こちらも「芝浜」同様すっかり聴いた気になってたがお初です。
最近は記憶がぜんぜん無くても聴いた(観た)ことある作品てのも十分あり得るボケ老人なので、記録は大事。
弟子が1人しかいない自身に被せるようなお寺の話。前半の幼少末弟子の悪智恵にビビる件が面白いけれど話はそれから怪談風になり、人情の無い悲惨な方向へ。当時の女性の立場は悲惨だったですね。という話。
年末の話で珍しいけれど面白くはない。
さて談春の箝口令「これからの芝浜」
なんだこれ?
共感呼ぶフレーズいくつかあったけど、まあ生れたばかりのこれからの噺。明日は変わってるかもとも言ってたし。。
以下多少のネタバレ含む。
え?そこまで変えちゃうの?最早「芝浜」では無いよ、これ。別のタイトル付けましょう。「これからの芝浜」ってのも変だし、「これ芝」てのも変か?
年濾しちゃいますからね。
現代の若い人が抱く夫婦感。夫婦である意味。今までの話に違和感を感じ古典と格闘する意気は良いけど。
色里上がりで裏街道を知るおかみさんは「おはま」
大家に言われたんじゃない。おかみさんの裁量。
勝五郎の仕事に行かなくなった理由。これもご自身が感じてるであろう心境に重なっている。
「芝浜」って「アーケード」だったんだね。今っ、気付いたよーAH
今回、談春が「芝浜は談志の象徴」みたいな事言ってて「へぇ~」と思った。
これが演じる側と聴く側のギャップって奴でしょうかね。
自分が談志の象徴を選ぶとしたら「粗忽長屋」「らくだ」
あとは「源平」かな。
決して「芝浜」は選ばない。
確かに談志の「芝浜」には心動かされたしスゲェなと思ったさ。
でも三木助のが好きだから粋じゃないんだよな。(オメェはあんつるかっ!)
談志に野暮を感じてしまった数少ない悲しい噺。
年寄りは三代目桂三木助の「芝浜」を聴きながら年の瀬を味わうとしましょう。
以前ほどチケットの取りにくい状況は緩和されてるようです。
立川談春師の生落語はなんと2010年3月以来の12年ぶりじゃないですか。
今回は「いままでの芝浜、これからの芝浜」という事で芝浜を2種類。
皆、年末の噺というと「芝浜」好きだよね。私ものめりこむきっかけが三代目三木助だったけど。
談春の芝浜は何年ぶりだろうと記録を遡ったところ、なんと聴いてませんでした。すっかり聴いた気になってたんですね。
まずは、
2022年(令和4年)12月7日(夜の部)
「いままでの芝浜、これからの芝浜」
有楽町 朝日ホール
開口一番 立川こはる 「黄金の大黒」
立川談春 「うどんや」
中入り
立川談春 「(いままでの)芝浜」
まず、立川こはるが来年5月に真打昇進との事。おめでとうございます。
名前も立川小春志(こしゅんじ、と濁る)と改めるそうです。
こはるが漢字になって残り師匠の春と大師匠談志の志だって、なんて大それた名なんでしょう。
10年くらい前には勉強会に通った縁もあるので、どこかで真打披露興行に参戦してあげようと思う(あげようたってご祝儀持ってくわけじゃないんだけどさw)
「うどん屋」は酔っ払いの件がしつこい印象があったのだけど、流石に聴かせるなぁ。良い「うどん屋」に巡り合えた。
談春の「芝浜」は今までのでも十分工夫を加えてあったんですね。他の人とは随分違う。師匠のとも違う。
嘘を付きとおしたおかみさんを勝五郎は簡単には許せない。
上手いし凄いし説得力や感心、感動もあるけど好き嫌いは別で談志にしても談春にしても「文七」の方が好きだとあらためて思う次第。
でも、翌週の「これからの芝浜」も予定してて楽しみ。
2022年(令和4年)12月13日(夜の部)
「いままでの芝浜、これからの芝浜」
有楽町 朝日ホール
開口一番 立川こはる「だくだく」
立川談春 「除夜の雪」
中入り
立川談春 「(これからの)芝浜」
来年真打ちになる噺家(二つ目)が開口一番って贅沢。開口一番は前座がやるってわけじゃなく最初に上がって高座を務めるという意味なんですね。談春師のところは弟子がこはるだけだから・・・
「だくだく」目の悪い泥棒が描いてある絵だと気づいた時「ははぁ、貧乏で家財道具が揃わないから絵に描いてそのつもりになってやがんだな」と言わせないから、その後のつもり、つもり、が唐突に感じてしまったよ。
談春の噺は何だろう?と聴いていたが途中で気付いた「除夜の雪」だ。「赤めだか」に出てくる噺で、こちらも「芝浜」同様すっかり聴いた気になってたがお初です。
最近は記憶がぜんぜん無くても聴いた(観た)ことある作品てのも十分あり得るボケ老人なので、記録は大事。
弟子が1人しかいない自身に被せるようなお寺の話。前半の幼少末弟子の悪智恵にビビる件が面白いけれど話はそれから怪談風になり、人情の無い悲惨な方向へ。当時の女性の立場は悲惨だったですね。という話。
年末の話で珍しいけれど面白くはない。
さて談春の箝口令「これからの芝浜」
なんだこれ?
共感呼ぶフレーズいくつかあったけど、まあ生れたばかりのこれからの噺。明日は変わってるかもとも言ってたし。。
以下多少のネタバレ含む。
え?そこまで変えちゃうの?最早「芝浜」では無いよ、これ。別のタイトル付けましょう。「これからの芝浜」ってのも変だし、「これ芝」てのも変か?
年濾しちゃいますからね。
現代の若い人が抱く夫婦感。夫婦である意味。今までの話に違和感を感じ古典と格闘する意気は良いけど。
色里上がりで裏街道を知るおかみさんは「おはま」
大家に言われたんじゃない。おかみさんの裁量。
勝五郎の仕事に行かなくなった理由。これもご自身が感じてるであろう心境に重なっている。
「芝浜」って「アーケード」だったんだね。今っ、気付いたよーAH
今回、談春が「芝浜は談志の象徴」みたいな事言ってて「へぇ~」と思った。
これが演じる側と聴く側のギャップって奴でしょうかね。
自分が談志の象徴を選ぶとしたら「粗忽長屋」「らくだ」
あとは「源平」かな。
決して「芝浜」は選ばない。
確かに談志の「芝浜」には心動かされたしスゲェなと思ったさ。
でも三木助のが好きだから粋じゃないんだよな。(オメェはあんつるかっ!)
談志に野暮を感じてしまった数少ない悲しい噺。
年寄りは三代目桂三木助の「芝浜」を聴きながら年の瀬を味わうとしましょう。