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ペレ

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「サッカーの王様」ペレ氏、82歳で死去 元ブラジル代表

サッカー元ブラジル代表の伝説的な存在で、史上最高の選手と称されたペレ氏が29日、サンパウロ市内の病院で多臓器不全のため死去した。82歳だった。
生涯通算1363試合に出場し、1281得点(このうちブラジル代表では91試合、77得点)という世界記録を打ち立てた。1977年に引退し、21年間のキャリアに幕を閉じた。
1958年、1962年、1970年と、ワールドカップ(W杯)を3度制した唯一の選手で、2000年には国際サッカー連盟(FIFA)の20世紀最優秀選手に選ばれた。
近年は、腎臓や前立腺の問題に悩まされていた。
2021年9月にはサンパウロのアルベルト・アインシュタイン病院で、定期検査で見つかった大腸腫瘍の手術を受けた。今年11月に再入院していた。
娘のケリー・ナシメント氏は病院から定期的にソーシャルメディアを更新し、父親の状態をファンに伝えてきた。
ナシメント氏は29日、病院でペレの遺体に家族が手を添えているとみられる写真を投稿し、「私たちの全てはあなたのおかげです。私たちはあなたを無限に愛しています。安らかに眠ってください」と書いた。
入院先の病院は、ペレ氏が「以前の臨床状態に関連した結腸癌の進行による、多臓器不全が原因」で死去したと認めた。
ペレ氏のツイッター・アカウントには、「インスピレーションと愛が、きょう安らかに息を引き取った王様ペレの旅路を記した。愛を、愛を、そして愛を、永遠に」とのメッセージが投稿された。
ブラジルサッカー連盟は、「ペレは史上最高のスポーツ人をはるかに超えた存在だった」とした。
「我々のサッカーの王様は、困難に直面しても決して恐れない、勝利を収めたブラジルを象徴する最も偉大な存在だった。彼は父親にW杯優勝を約束し、私たちに3度、優勝カップをもたらしてくれた」
「サッカーの王様は私たちに新たなブラジルを見せてくれた。彼が残してくれたレガシーにとても感謝している。ありがとう、ペレ」
ペレ氏がかつて所属したブラジルのクラブ「サントス」は、ペレ氏の葬儀の詳細を発表。同氏の棺は来年1月2日朝に病院を出発し、同クラブのエスタディオ・ウルバーノ・カルデイラ・スタジアムに移される。一般市民が最後のお別れができるよう棺をピッチの中央に設置するという。
翌3日には棺がサントスの街中を回り、その後、埋葬は家族だけが参列する予定。

ペレ氏(本名エドソン・アランテス・ド・ナシメント)は1956年、15歳の時にサントスでプロデビュー。単一のクラブで公式戦通算643ゴールを記録した。
1958年のW杯スウェーデン大会では、17歳にしてブラジルの優勝に貢献。決勝トーナメントで先発メンバー入りを果たし、世界的スターとなった。
ウェールズとの準々決勝では唯一の得点を決めて1-0で勝利し、フランスとの準決勝ではハットトリックを達成。5-2で開催国スウェーデンを破った。
1962年のW杯チリ大会では、当時21歳のペレ氏がメキシコとの初戦でゴールを決めるも、2戦目で負傷。それでもチームは2連覇を果たした。
1966年のイングランド大会ではファウルを繰り返し受け、負傷退場。ブラジルはグループリーグ敗退となった。
ペレ氏は自身3度目の優勝がかかった1970年メキシコ大会では、イタリアとの決勝戦で先制ゴールを決め、4-1で勝利した。
ペレ氏は2000年に、「音楽にはベートヴェンがいて、その他大勢がいる。同じようにサッカーにはペレがいて、その他大勢がいる」と語っている。
2020年にBBCスポーツが行った投票では、ペレ氏はリオネル・メッシ氏やクリスティアーノ・ロナウド氏、ディエゴ・マラドーナ氏、ヨハン・クライフ氏を抑えて最も偉大な選手に選ばれた。
(英語記事 Brazil legend Pele dies aged 82)BBC NEWS JAPAN______

昭和47年のサントスFC来日。テレビにかじりついてたっけな。翌日にはビデオだったか部室で皆で観た記憶。


【サッカー氷河期】1972 日本 vs サントス【ペレ来日】



「ペレの前まで、フットボールはただのスポーツだった」ネイマール
R.I.P. King Pere 




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