古今亭志ん橋さん死去 79歳
落語家、古今亭志ん橋(ここんてい・しんきょう、本名小椋幸彦=おぐら・ゆきひこ)さんが8日午前5時43分、大腸がんのため死去した。79歳だった。東京都出身。通夜は15日、葬儀・告別式は16日、東京・代々幡斎場で営まれる。喪主は妻、小椋和子さん。
志ん橋さんは1969年1月、古今亭志ん朝門下に入門。72年10月に前座となり、前座名・古今亭志ん太を名乗り、75年5月に二つ目に昇進。82年12月に六代目志ん橋として真打ちに昇進した。
所属する落語協会によると、最後の寄席は、今年1月5日の浅草演芸ホールだったという。
76年には第1回国立劇場花形演芸新人賞、86年には文化庁芸術祭賞団体賞を受賞。
映像でも79~80年にテレビ朝日系時代劇「江戸の牙」、2015年公開の映画「の・ようなもの のようなもの」に出演し、俳優としても活躍した。
サンスポ________________________________________
二つ目・志ん太の頃から慣れ親しんだ落語家さん。若手花形落語会メンバーがまた一人鬼籍に入られた。最近はとんとご無沙汰だけども寂しさとともに順番の近づきを犇々と感じるのであります。
マンガのような「だくだく」が好きでした。
マイネタ帳
垂乳根 昭和54年6月9日 若手花形落語会
だくだく 昭和54年8月12日 若手花がt落語会
鰻の幇間 昭和54年9月5日 小里ん志ん太の会
不精床 昭和54年9月11日 池袋演芸場
転宅 昭和54年9月14日 池袋演芸場
野ざらし 昭和54年9月16日 池袋演芸場
三人兄弟 昭和54年9月27日 にっかん飛切落語会
岸柳島 昭和54年10月10日 若手花形落語会
天災 昭和54年11月28日 池袋演芸場
品川心中 昭和54年12月9日 若手花形落語会
短命 昭和55年2月6日 若手花形落語会
抜け雀 昭和55年2月9日 若手花形落語会
風呂敷 昭和55年5月1日 池袋演芸場
妾馬 昭和55年5月31日 池袋余一会
居酒屋 昭和57年11月3日 若手花形落語会
片棒 昭和58年2月11日 若手花形落語会
手紙無筆 昭和59年1月30日 池袋演芸場
鮑のし 平成8年12月7日 池袋演芸場
※当時は最初にそのネタを聞いた日のみで2回目以降は記録していませんでした。
※平成8年以降は全記録を付けるようにしています。
最後に聴いたのは平成22年12月6日末廣亭での「居酒屋」でした。
こうして昭和54年を中心にネタを綴っていくと若い頃に見た師の高座が次々と思い出されます。とても解りやすい口調と落語でしたね。
ご冥福をお祈りいたします。
落語家、古今亭志ん橋(ここんてい・しんきょう、本名小椋幸彦=おぐら・ゆきひこ)さんが8日午前5時43分、大腸がんのため死去した。79歳だった。東京都出身。通夜は15日、葬儀・告別式は16日、東京・代々幡斎場で営まれる。喪主は妻、小椋和子さん。
志ん橋さんは1969年1月、古今亭志ん朝門下に入門。72年10月に前座となり、前座名・古今亭志ん太を名乗り、75年5月に二つ目に昇進。82年12月に六代目志ん橋として真打ちに昇進した。
所属する落語協会によると、最後の寄席は、今年1月5日の浅草演芸ホールだったという。
76年には第1回国立劇場花形演芸新人賞、86年には文化庁芸術祭賞団体賞を受賞。
映像でも79~80年にテレビ朝日系時代劇「江戸の牙」、2015年公開の映画「の・ようなもの のようなもの」に出演し、俳優としても活躍した。
サンスポ________________________________________
二つ目・志ん太の頃から慣れ親しんだ落語家さん。若手花形落語会メンバーがまた一人鬼籍に入られた。最近はとんとご無沙汰だけども寂しさとともに順番の近づきを犇々と感じるのであります。
マンガのような「だくだく」が好きでした。
マイネタ帳
垂乳根 昭和54年6月9日 若手花形落語会
だくだく 昭和54年8月12日 若手花がt落語会
鰻の幇間 昭和54年9月5日 小里ん志ん太の会
不精床 昭和54年9月11日 池袋演芸場
転宅 昭和54年9月14日 池袋演芸場
野ざらし 昭和54年9月16日 池袋演芸場
三人兄弟 昭和54年9月27日 にっかん飛切落語会
岸柳島 昭和54年10月10日 若手花形落語会
天災 昭和54年11月28日 池袋演芸場
品川心中 昭和54年12月9日 若手花形落語会
短命 昭和55年2月6日 若手花形落語会
抜け雀 昭和55年2月9日 若手花形落語会
風呂敷 昭和55年5月1日 池袋演芸場
妾馬 昭和55年5月31日 池袋余一会
居酒屋 昭和57年11月3日 若手花形落語会
片棒 昭和58年2月11日 若手花形落語会
手紙無筆 昭和59年1月30日 池袋演芸場
鮑のし 平成8年12月7日 池袋演芸場
※当時は最初にそのネタを聞いた日のみで2回目以降は記録していませんでした。
※平成8年以降は全記録を付けるようにしています。
最後に聴いたのは平成22年12月6日末廣亭での「居酒屋」でした。
こうして昭和54年を中心にネタを綴っていくと若い頃に見た師の高座が次々と思い出されます。とても解りやすい口調と落語でしたね。
ご冥福をお祈りいたします。