「受難」2013年 ファントム・フィルム 監督:吉田良子
天涯孤独で修道院育ち、汚れを知らないフランチェス子は、大人になって社会に出てからも、どうして男女が付き合い、セックスをするのかという疑問に悶々とした毎日を送る。そんなある日、フランチェス子の股間に人面瘡ができ、フランチェス子を口汚くののしってくる。それでもフランチェス子は、その人面瘡を「古賀さん」と名付け、健気に共生する道を模索するが……。
直木賞受賞一歩前の作家姫野カオルコ。ここ数年書店でよく目にする作家さんですが、我々世代としては何ともお懐かしいお名前。果たしてどんな小説を書いているのか、女流は苦手ではあるけど一度は読んでおこうかと思いつつ・・・
そしたら本作が映画化され、その内容を伺うとグラビアアイドル岩佐真悠子ちゃんのあそこに人面瘡が出来て喋り出すという荒唐無稽なプッシー・トーク映画らしいので、原作未読のまま、のこのこ観に行ってみる。
気づくと、女流作家による女流監督の女の性のお話という事で、どうも嫌な予感がするが「009ノ1」を見逃したので岩佐目当てであっても一向に問題無しだろうと心落ち着かせ。
岩佐真悠子のフランチェス子は、素材は美しくともほぼスッピンのソバカス顔に黒髪をストロングスタイルに伸ばして、ファッションにも気を使う様子の無い、女としての魅力無しのキャラ。
こういう磨けば輝くブスというのは、そそる物があります。でも劇中ではまったく男子に相手にされていない。
人面瘡の古賀さんとの共生を始め、古賀さんの罵倒、叱咤によって性が開放され成長する物語かと思いましたが、そうは簡単には行かないようです。
晴れての処女喪失も古賀さんによる女心を無視した余計なお世話で哀しすぎ。
一本のちんこにより人面瘡は消失したかと思いきや、再度登場となり彼女の股間に巣食う。
そこで彼女は古賀さんをしても「そこまであきらめていたのか」と呆然とさせられる提案を持ちかける。ここから古賀さん出生の由来がファンタジックに語られ、ラストはハッピーなのか違うのか微妙な結末を迎える。なんとも哲学的で悩ましい。
エンディングのベッドでのフランチェス子の幸福そうな笑顔から「あまちゃん」でお馴染になった大友良英さんの明るい音楽が救いでハッピーな気持ちにもなるが、やはり淋しすぎやしないの・・・。
フランチェス子がはじめ人間ギャートルズの歌を歌いながらだだっ広く古めかしい部屋をしょっちゅう拭き掃除している。綺麗好きなようでいて拭き方はテキトーなのが面白い。
あとは4文字お○んこ連発(劇中ピー音無し、にも関わらずこの記事は伏字を使うのか、根性無しめ! )とやたらに股間を覗き込むシーンがバカバカしくて良い。
もちろん本作の売りである美乳と全裸疾走もバッチリ。
古賀さんはパックリ縦すじ付きの髭モジャ顔で股間に納まっており充分に卑猥。でもあの声はいただけないけど・・・
フランチェス子は性格から友達とも距離を置いたよそよそしい喋り方する。この台詞回しでキャラクターが浮かび上がる。
この日、空いている劇場はほとんど男性。しかも年齢層も高め。
おやじがスケベ心で観に来ても一向に問題の無い作品ではありますが、本来、女性の観客を請う作品とも思います。
少し時を置いて、原作読んでみます。
シネマート新宿
天涯孤独で修道院育ち、汚れを知らないフランチェス子は、大人になって社会に出てからも、どうして男女が付き合い、セックスをするのかという疑問に悶々とした毎日を送る。そんなある日、フランチェス子の股間に人面瘡ができ、フランチェス子を口汚くののしってくる。それでもフランチェス子は、その人面瘡を「古賀さん」と名付け、健気に共生する道を模索するが……。
直木賞受賞一歩前の作家姫野カオルコ。ここ数年書店でよく目にする作家さんですが、我々世代としては何ともお懐かしいお名前。果たしてどんな小説を書いているのか、女流は苦手ではあるけど一度は読んでおこうかと思いつつ・・・
そしたら本作が映画化され、その内容を伺うとグラビアアイドル岩佐真悠子ちゃんのあそこに人面瘡が出来て喋り出すという荒唐無稽なプッシー・トーク映画らしいので、原作未読のまま、のこのこ観に行ってみる。
気づくと、女流作家による女流監督の女の性のお話という事で、どうも嫌な予感がするが「009ノ1」を見逃したので岩佐目当てであっても一向に問題無しだろうと心落ち着かせ。
岩佐真悠子のフランチェス子は、素材は美しくともほぼスッピンのソバカス顔に黒髪をストロングスタイルに伸ばして、ファッションにも気を使う様子の無い、女としての魅力無しのキャラ。
こういう磨けば輝くブスというのは、そそる物があります。でも劇中ではまったく男子に相手にされていない。
人面瘡の古賀さんとの共生を始め、古賀さんの罵倒、叱咤によって性が開放され成長する物語かと思いましたが、そうは簡単には行かないようです。
晴れての処女喪失も古賀さんによる女心を無視した余計なお世話で哀しすぎ。
一本のちんこにより人面瘡は消失したかと思いきや、再度登場となり彼女の股間に巣食う。
そこで彼女は古賀さんをしても「そこまであきらめていたのか」と呆然とさせられる提案を持ちかける。ここから古賀さん出生の由来がファンタジックに語られ、ラストはハッピーなのか違うのか微妙な結末を迎える。なんとも哲学的で悩ましい。
エンディングのベッドでのフランチェス子の幸福そうな笑顔から「あまちゃん」でお馴染になった大友良英さんの明るい音楽が救いでハッピーな気持ちにもなるが、やはり淋しすぎやしないの・・・。
フランチェス子がはじめ人間ギャートルズの歌を歌いながらだだっ広く古めかしい部屋をしょっちゅう拭き掃除している。綺麗好きなようでいて拭き方はテキトーなのが面白い。
あとは4文字お○んこ連発(劇中ピー音無し、にも関わらずこの記事は伏字を使うのか、根性無しめ! )とやたらに股間を覗き込むシーンがバカバカしくて良い。
もちろん本作の売りである美乳と全裸疾走もバッチリ。
古賀さんはパックリ縦すじ付きの髭モジャ顔で股間に納まっており充分に卑猥。でもあの声はいただけないけど・・・
フランチェス子は性格から友達とも距離を置いたよそよそしい喋り方する。この台詞回しでキャラクターが浮かび上がる。
この日、空いている劇場はほとんど男性。しかも年齢層も高め。
おやじがスケベ心で観に来ても一向に問題の無い作品ではありますが、本来、女性の観客を請う作品とも思います。
少し時を置いて、原作読んでみます。
シネマート新宿