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訃報 シーナさん シーナ&ザ・ロケッツ

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シーナさん「もう一度歌いたい」 シナロケ聴きながら息引き取る…夫・鮎川が語る

4人組ロックバンド「シーナ&ザ・ロケッツ」のボーカル、シーナ(本名・鮎川悦子)さんが14日朝、子宮頸がんのため、入院先の都内の病院で亡くなった。61歳だった。夫で同バンドのギタリストの鮎川誠(66)がデイリースポーツの取材に応じ、「35年一緒に(シナロケを)やれて、幸せでした。本当にファンの皆さんから愛されて、とても幸せやったと思います」と話した。

シーナさんは昨年7月、急病でライブ出演をとりやめ、「風邪気味による体調不良」と発表されていたが、鮎川によると、この時、末期の子宮頸がんと診断されていたという。8月15日にステージ復帰。9月13日に日比谷野音で行われたシナロケの35周年記念ライブにも出演したが、「本当は体調、悪かったんです」。

最後のライブは10月23日。90年代にシナロケでベースを担当し、昨年4月に亡くなった橋本潤さんの「生誕55年祭」だった。その後、体調が悪化し、11月下旬に入院。正月は自宅に戻り、家族で過ごすことができたが、通院しながら治療していた1月中旬に容態が悪化し、再び入院。バレンタインデーだった14日の朝、鮎川、3人の娘ら家族に看取られ、静かに息をひきとった。

「みんな、家族で手握って。35年分のシーナ&ロケッツのレコードをパソコンで聞きながら。一番新しいアルバム『ROKKETS RIDE』と(代表曲でもある)「ユー・メイ・ドリーム」…二人の永遠の愛の歌をね…、『いいな…』って聞きながら、息が途絶えました」。

シーナさんは1978年、夫で同じ福岡出身のギタリスト・鮎川誠とSHEENA&THE ROKKETSを結成。シングル「涙のハイウェイ」でデビューした。ミニスカートと網タイツをトレードマークにパワフルな歌声とカリスマ性で女性ロックボーカリストの先駆けとなり、鮎川の強烈な個性、九州弁とともにシナロケは日本を代表するロックバンドとなった。

「35年、一緒にやりましたけど、シーナは、どこにもいない歌手なんですよ。素晴らしい歌手です」。末期がんで昨年11月に入院後も「もう1度バンドに合流して、もう1度歌いたい、と。お医者さんから『病気直ったら何したい?』って言われて、『歌いたい』って。それが叶わんかったから…」。

「バレンタインが命日になって…。ハートが大好きやったから」。鮎川の声は少しだけ微笑んでいるようにも聞こえた。

最愛の妻でパートナーが息を引き取った14日夜、鮎川はバンドのメンバーと亡きがらに付き添っていた。「本当にファンの皆さんから愛されて、とても幸せやった、と伝えたいです。ファンの皆さん、シーナを愛してくれて、本当に幸せでした。ありがとうございました」。

シーナさんは北九州市出身。鮎川との間に双子を含む3姉妹をもうけた。

デイリースポーツ



驚きの訃報でした。まだまだ現役バリバリで頑張り続けるんだと思っていたのに・・・
女性のロッカーが還暦すぎてバリバリに続けるというのは並大抵の事では無いでしょう。
いかに劣化を防ぐか、劣化するにしてもカッコ良く劣化しなければならない。スリムである事は重要だし。
良い意味で化け物になるしかないと言えるでしょう。
見るも無残な姿を晒していれば、それはもう現役バリバリでは無い。懐メロ、「あの人は今」でしかない。
そういう意味で日本でも稀有なロッカーだったと思います。

残念ながら私は若い頃のシーナ&ロケッツの曲しか知りませんので
追悼は「ピンナップ・ベイビー・ブルース」で・・・




シーナ&ロケッツ - 『ROKKET RIDE』ティザー映像

シーナ&ロケッツ35周年!100年ロック!ANNIVERSARY TOUR オフィシャル告知ムービー (2013)


ご健在なうちに記事UPができて良かった。
シーナ&ザ・ロケッツ 「プロポーズ」

この記事UPの直後に入院されていたんですね。
いや、本当に驚き、残念です。



ご冥福をお祈りいたします。

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