奇跡のリリーバー・盛田氏が死去
プロ野球の横浜大洋、近鉄で活躍した右腕・盛田幸妃氏が亡くなったことが16日、分かった。享年45。死因は現時点で不明。
函館有斗高から1987年のドラフト会議で、横浜大洋から1位指名を受け入団。現役時代は切れ味鋭いシュートを武器に、与死球も多かったが、主にセットアッパーとして活躍。横浜時代は佐々木主浩とともに「ダブルストッパー」と呼ばれた。
実働14年間で345試合に登板し47勝34敗29セーブ。92年に最優秀防御率のタイトルを獲得した。近鉄に移籍した98年のシーズンに脳腫瘍が見つかる。摘出手術、リハビリを経て99年に復帰すると、2001年にはカムバック賞を受賞した。その復活劇から「奇跡のリリーバー」とも。
引退後はTBS、HBCで野球解説者を務めていた。
東スポweb
年下の元プロ野球選手の訃報はやはり悲しいですね。
脳腫瘍が発症から8年後に再発していたとは存じ上げませんでした。かなり苦しい闘病生活を送られていた事は、更新も言葉も少ないブログから痛いほど伝わってきます。
奇跡の復活に関しては他所の球団での話ですけど、生死に関わる事だけに気になっていました。
ベイスターズが石井琢や進藤らの成長で徐々に強くなり始めた時代の名セットアッパー。
要するに私が最もハマスタへ足を運んでいた時期の戦士です。
1998年、権藤監督の胴上げに彼が加わっていないのが残念に思えたもんです。代わりに来た中根選手が渋い活躍をしていたので、まぁ良いのですが。
彼の場合、入団時、父親が大洋漁業の船に助けられたというエピソードも印象深かったですね。大洋を恩人と感じていたわけで、弱くても古き良き大洋時代の選手。
そしてドラフト下手の横浜にあって、高校生ドラ1でこれだけの実績を残したのは数少ない成功例でもありました。
気になるのは死因不明・・・
病魔にやられたと考えたいところですが、ブログを見ると何か嫌な原因も想像してしまいます。
1994 盛田幸妃
ご冥福をお祈りいたします。
新監督人事が気になります。
プロ野球の横浜大洋、近鉄で活躍した右腕・盛田幸妃氏が亡くなったことが16日、分かった。享年45。死因は現時点で不明。
函館有斗高から1987年のドラフト会議で、横浜大洋から1位指名を受け入団。現役時代は切れ味鋭いシュートを武器に、与死球も多かったが、主にセットアッパーとして活躍。横浜時代は佐々木主浩とともに「ダブルストッパー」と呼ばれた。
実働14年間で345試合に登板し47勝34敗29セーブ。92年に最優秀防御率のタイトルを獲得した。近鉄に移籍した98年のシーズンに脳腫瘍が見つかる。摘出手術、リハビリを経て99年に復帰すると、2001年にはカムバック賞を受賞した。その復活劇から「奇跡のリリーバー」とも。
引退後はTBS、HBCで野球解説者を務めていた。
東スポweb
年下の元プロ野球選手の訃報はやはり悲しいですね。
脳腫瘍が発症から8年後に再発していたとは存じ上げませんでした。かなり苦しい闘病生活を送られていた事は、更新も言葉も少ないブログから痛いほど伝わってきます。
奇跡の復活に関しては他所の球団での話ですけど、生死に関わる事だけに気になっていました。
ベイスターズが石井琢や進藤らの成長で徐々に強くなり始めた時代の名セットアッパー。
要するに私が最もハマスタへ足を運んでいた時期の戦士です。
1998年、権藤監督の胴上げに彼が加わっていないのが残念に思えたもんです。代わりに来た中根選手が渋い活躍をしていたので、まぁ良いのですが。
彼の場合、入団時、父親が大洋漁業の船に助けられたというエピソードも印象深かったですね。大洋を恩人と感じていたわけで、弱くても古き良き大洋時代の選手。
そしてドラフト下手の横浜にあって、高校生ドラ1でこれだけの実績を残したのは数少ない成功例でもありました。
気になるのは死因不明・・・
病魔にやられたと考えたいところですが、ブログを見ると何か嫌な原因も想像してしまいます。
1994 盛田幸妃
ご冥福をお祈りいたします。
新監督人事が気になります。