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Channel: JOEは来ず・・・ (旧Mr.Bation)
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3代目 桂春團治を悼む

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上方落語四天王の最後の一人、桂春團治師は今年の1月に亡くなっておられました。
衰退していた上方落語を復興させた四天王の1人。その功績から言って訃報報道はそれなりにされていたに違いないので、今まで知らなかったのは当方の粗忽。いや、ぼんやりしている此方にもちゃんと伝わるようにもっと大きく報じてくださいな。文枝の不倫とかはいいから・・・

上方落語復興 最後の四天王

戦後、滅亡寸前と言われた上方落語界の復興に尽くした四天王の最後の一人で、厳しいまでに磨き上げた芸風で知られる桂春団治(かつら・はるだんじ、本名・河合一=かわい・はじめ)さんが9日、心不全のため亡くなった。85歳だった。親族や直系の弟子らで密葬を営んだ。
1930年、大阪市生まれ。父親は二代目春団治。高校を卒業後、会社に就職するが1年で辞め、47年小春の名でデビュー。50年に二代目福団治、59年に三代目春団治を襲名した。
後に上方落語四天王と称された、三代目桂米朝、六代目笑福亭松鶴、五代目桂文枝(いずれも故人)とほぼ同時期の入門で、衰退していた上方落語界再生の原動力として活躍した。
芸風は地味だが手堅く、上方落語のエッセンスを観客に見せるよう心掛けた。テレビやラジオにはほとんど出演せず落語一筋。粒よりのネタを完璧に演ずることに全力を傾け、「野崎詣(まい)り」「いかけや」「代書」などは至芸と言われた。
若手の育成にも熱心で、福団治さんや故二代目春蝶、小春団治さんらを育てた。78年から83年には三代目の上方落語協会会長を務めた。
81年に胃潰瘍、92年にはC型肝炎と診断されるなど、何度か病気に見舞われながらその度に克服。年齢とともに円熟を重ね、艶のある芸で観客を酔わせた。足のけがで正座できなくなったことなどを理由に、2013年夏以降は高座から遠ざかっていたが、弟子の襲名披露の際などには公に姿を見せることもあった。
75年芸術祭優秀賞、78年上方お笑い大賞、98年には紫綬褒章を受章した。

毎日新聞2016年1月14日
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残念ながら春團治師の生高座には出会っておりません。
TVで拝見するのみ。昭和50年代にメディアで観たネタも噺家別に記録していたものが残っていて(これはキリが無いので途中でやめてしまった)それによると「お玉牛」「子ほめ」「寄合酒」「親子茶屋」と4席記録されていました。
この他に記憶では「いかけ」「代書」を聴いた憶えがあります。
NHKでは出る度に「子ほめ」を演っていた印象があります。
黒門町と同じ「野崎」の出囃し、余計な枕を省略して本題に入る演じ方、羽織を脱ぐ時のスマートさ、低音の魅力で律儀そうな高座、ネタ数や扱うネタの軽さ。
当時は個性的な四天王の中にあって地味なイメージを持っていました。
春團治という名跡は初代の伝説があまりにも破天荒なので余計、地味に感じるところがあるとも思います。
今となってはそれこそが個性で魅力を感じる。カッコいい噺家さんでした。
一度は高座を観ておきたかった師匠です。

昨夜は春團治師を悼みYOU TUBEで高座観賞。
動画が少ないのも師匠らしい。画像などもお爺ちゃんになってからのものが多いけれど、50代、協会会長の頃が姿も高座も一番良い時期だったと思いますな。

枝雀寄席 桂 春団治さん
「わしくに」が見れないのがもどかしい・・・

春團治 お玉牛

遅ればせながらご冥福をお祈りいたします。

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