和田誠が83歳で死去、数々の舞台ポスター・宣伝美術で活躍
グラフィックデザイナー、イラストレーターの和田誠が肺炎のため10月7日に死去した。83歳だった。
和田は1936年、大阪府生まれ。多摩美術大学を卒業後、ライトパブリシティに入社。独立後は「週刊文春」をはじめ、多くの雑誌・書籍の装丁や挿絵を手がけた。演劇界とも関わりが深く、1967年には天井桟敷 第2回公演「大山デブコの犯罪」にて寺山修司の詩に曲を付け、寺山制作のレコード「初恋地獄篇」の作曲を担当。こまつ座をはじめ、舞台ポスター、宣伝美術を数多く手がけてきた。
映画監督としても知られた和田は、1984年に映画「麻雀放浪記」を初監督。1988年の「快盗ルビイ」ではブルーリボン賞監督賞を獲得した。またエッセイストとしても活動し、三谷幸喜と映画について語った共著「これもまた別の話」ほかを出版している。
ステージナタリー
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石丸電機のレコード袋や東海林さだおの装丁で馴染み深い和田誠さんのタッチが好きで、若い頃永久保存版として肖像画集を買って大事にとってある。「2」は買ってない。そのぐらいの熱量。
映画監督としても「麻雀放浪記」は面白かった。阿佐田哲也の原作が好きだったけれど、映画も大満足だった。
また時代が終わっていくのだな。
ご冥福をお祈りいたします。
グラフィックデザイナー、イラストレーターの和田誠が肺炎のため10月7日に死去した。83歳だった。
和田は1936年、大阪府生まれ。多摩美術大学を卒業後、ライトパブリシティに入社。独立後は「週刊文春」をはじめ、多くの雑誌・書籍の装丁や挿絵を手がけた。演劇界とも関わりが深く、1967年には天井桟敷 第2回公演「大山デブコの犯罪」にて寺山修司の詩に曲を付け、寺山制作のレコード「初恋地獄篇」の作曲を担当。こまつ座をはじめ、舞台ポスター、宣伝美術を数多く手がけてきた。
映画監督としても知られた和田は、1984年に映画「麻雀放浪記」を初監督。1988年の「快盗ルビイ」ではブルーリボン賞監督賞を獲得した。またエッセイストとしても活動し、三谷幸喜と映画について語った共著「これもまた別の話」ほかを出版している。
ステージナタリー
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石丸電機のレコード袋や東海林さだおの装丁で馴染み深い和田誠さんのタッチが好きで、若い頃永久保存版として肖像画集を買って大事にとってある。「2」は買ってない。そのぐらいの熱量。
映画監督としても「麻雀放浪記」は面白かった。阿佐田哲也の原作が好きだったけれど、映画も大満足だった。
また時代が終わっていくのだな。
ご冥福をお祈りいたします。