地元赤羽は映画館の無い街。
ガキの頃(昭和40年代初頭)はまだまだ沢山映画館があって、親に連れて行ってもらった映画館の薄汚い記憶が残ってる。
小学校も高学年になり自分の小遣いで映画館に行くようになった頃にはあの悪名高い赤羽オデヲン座のみになっていて、そこも平成3年(1991年)に閉館。
以来、赤羽は映画館の無い街に甘んじている。
足回りが良いので問題はないが、やはり映画館の無い街は寂しい。
マンガ祭りや怪獣映画を見たあの映画館たちはいったい何処だったんだろうかと気になっていたのでザクっと調べてみた。
消えた映画館の記憶
1960年の映画館。東京都北区には、所在地赤羽であろう館が以下記載されている。
赤羽東映劇場、赤羽オリンピア劇場、赤羽中央劇場、赤羽映画劇場、赤羽文化劇場、赤羽第一映画劇場
それぞれWikiで調べると
赤羽東映劇場
1952年前後 - 開館
1955年5月 - 同館で拳銃強盗事件が発生
1965年前後 - 閉館
1968年12月 - 東亜興行が赤羽東亜会館を別場所に竣工、新たに「赤羽東映劇場」を開業する
1984年前後 - 赤羽東亜会館の「赤羽東映劇場」が「赤羽映画劇場」と改称(1991年3月閉館)・・・・括ってオデヲン座と呼んでいたのか。
1986年3月 - 同館跡地に「赤羽パルロードI アピレ」開業
駅近は1965年前後に閉館とあるから、ここへは行った事がない可能性が高い。
赤羽映画劇場
1925年 - 赤羽萬歳館として開館
1927年 - 赤羽劇場を併設
1930年 - 赤羽劇場を650名規模の映画館に拡張
1940年前後 - 赤羽映画劇場と改称、450名規模に縮小
1965年 - 赤羽東宝と改称
1979年2月3日 - ニュー赤羽映劇と改称
1982年前後 - 閉館
1984年前後 - 赤羽東亜会館の赤羽東映劇場が「赤羽映画劇場」と改称
1991年 - 赤羽東亜会館の「赤羽映画劇場」が閉館する
2006年9月 - ニュー赤羽映劇跡地にマンション「ウィルローズ赤羽」竣工
ここもオデヲン座に集約されていくのか。
赤羽東宝は「三大怪獣」に連れていってもらった劇場の可能性が高い。ウィルロース赤羽の所在地を調べると赤羽岩淵駅の近くなので間違いない。
ニュー赤羽映劇が1982年まで運営されていたらしいが記憶に無い。
そして赤羽オデヲン座
1968年12月 - 北区赤羽西に赤羽東亜会館を新築・開業、赤羽オデヲン座・赤羽東映劇場を開館
1984年前後 - 赤羽東映劇場が赤羽映画劇場と改称
1991年 - 赤羽東亜会館・赤羽映画劇場を閉館
同年3月 - 赤羽東亜会館は存続、映画館の跡地を改装しオデヲン赤羽駐車場に業態を変更。
ここで観た記憶のある映画は以下
「新・猿の惑星」
「バニシング・ポイント」
「アンドロメダ」
「栄光のル・マン」
「小さな恋のメロディ」
「ポセイドン・アドベンチャー」
チャールトン・ヘストンの「オメガマン」がかかっていたので行こうとしたら上映打ち切りになって見る事が適わなかった。未だに見ていない。
立地的に国鉄赤羽駅を使う小学校の校外授業での通り道になっていたが、併設された成人映画館の淫猥なポスター立て看板がある時は隊列が別経路になった。
そんな成人映画館の向い側におもちゃ屋さん(大人のじゃないよ)があったのも印象的。これにはちょっと哀しいお話があって、おもちゃ屋さんは理髪店となった。というか、理髪店に戻ったという事らしい。
こちらも成人して80年代、映画に興味がまったくない時代。それでも土曜に飲んで帰る途中、オールナイトでにっかつロマンポルノを何本か見たものだ。
記憶はあまり残ってないが
「痴漢保健室」「セーラー服百合族」「夕暮れ族」「好きほくろ」なんかはここで観たように思う。
今みたいに鑑賞記録を残しておけばなぁ、と思う事がある。
東映まんがまつりで観た時代劇(丹下左膳っぽかった)の予告編がやたら記憶あるのだが、あの映画館は何処だったんだろう。「妖怪百物語」はそこで観たように記憶するんだが・・・。
弾き続き調査。
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映画館の無い町
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