昭和十七年の夏 幻の甲子園―戦時下の球児たち早坂 隆文藝春秋発売日:2010-07ブクログでレビューを見る»
熱戦が繰り広げられている甲子園、94回目の夏。
これは、ちょうど昨年の夏、今頃に読んだ物。
2010年に出版された物で存在を知らず書店で見つけた時、こういう物は文庫にならないだろうからと単行本を即買い。
先日、書店に行ったら、なんと文庫本新刊として並んでいた。まぁ、それは良いけど・・・。
昭和17年の幻の甲子園の存在を知ったのは高校の時でした、たいそう興味を抱き、当時の新聞記事などを探した憶えがあります。
その大会を題材にノンフィクションとして刊行されるとは嬉しい嬉しい。
書籍の刊行だけでなくNHKではこれを題材に番組を作っていたんですね。ちいとも知らなかった。見たかったな、そのノンフィクション番組。
当時の球児を訪問して取材する早坂隆。読んでいてワクワクします。
ただ単純に野球の経過を書き連ねただけでも充分に面白い読み物になるというのは「大洋ホエールズ誕生前」で経験済み。
それにしても戦時下で練習もままならなかったという事情もあってか、投手の制球が滅茶苦茶良くない。現在から見るとかなり低いレベル。球場内外では球児の活躍で盛り上がっている様子も書かれているけど、この展開は見ていてしんどいだろうな。
戦争により翻弄された球児たちの物語を通じて・・・。
終戦の夏は、戦争に思いを巡らす季節なのですな。
アニメ「巨人の星」で育った者は尚更。あのマンガは飛雄馬の物語よりも、途中で差し挟まれる戦争の及ぼした野球の悲話(ほぼ実話エピソード)が断然面白かった。
戦争の記憶を忘れないため、野球という国民的スポーツはとても重要な位置にある事は、ある意味、間違いありません。
昭和17年6月5日に始まったミッドウェー海戦大敗直後の6月24日、文部省が前年中止になっていた甲子園大会の開催を知らせる通達を出した。だが、大会の主催者は大阪朝日新聞社ではなく、文部省だった。
今も朝日新聞社の記録では「昭和16年〜20年 戦争で中止」となっている甲子園大会が、なぜ昭和17年夏だけ文部省によって開催されたのか?戦意高揚のため特異な戦時ルールが適用され、「選手」としてではなく「選士」として出場し選手交代も認められず、大会後は「兵士」として戦場へ向かった多くの球児たちの数奇な運命を辿る傑作ノンフィクション。
この大会がもし、正式に全国高等(中等)学校野球選手権として認められたなら・・・
出場高の大会前出場回数と現在の出場回数を記しておきましょう。
出場校名 (幻の甲子園までの春出場回数、夏出場回数)(現在までの春出場回数、夏出場回数)春、夏、優勝、準優勝実績。(現校名)
徳島商業(4、2)(19、23)選抜優勝1回、選手権準優勝1回(徳島商高)
平安中学(13、10)(36、31)選手権優勝3回、準優勝4回 (龍谷大平安)
広島商業(8、6)(21、22)選抜優勝1回、準優勝1回、選手権優勝6回、準優勝1回(広島商高)
海草中学(9、6)(15、7)選手権優勝2回、準優勝1回 (向陽高校)
一宮中学(3、0)(3、0)選抜準優勝1回(一宮高校)
仙台一中(0、2)(0、3)(仙台一高)
福岡工業(4、4)(5、4)(福岡工高)
水戸商業(0、2)(4、10)選抜準優勝1回(水戸商高)
市岡中学(7、10)(11、10)選手権準優勝1回(市岡高校)
松本商業(8、8)(15、35)選抜準優勝2回、選手権優勝1回、準優勝1回(松商学園)
大分商業(2、5)(5、14)(大分商高)
北海中学(1、14)(12、35)選抜準優勝1回(北海高校)
台北工業(0、3)(0、3)(台湾)
敦賀商業(1、10)(4、17)(敦賀商高)
滝川中学(5、1)(12、7)(滝川高校)
京王商業(0、0)(0、0)(専大附高)
本当の意味で幻の大会となっているのは初戦で優勝した徳島商に敗れた京王商(現・専大附)
専大には全国で4つの付属高があるが、専大北上は畠山(ヤクルト)を輩出した北の強豪。
昨年は熊本の専大玉名が初出場を果たしている。専大松戸も上沢(日本ハム)を輩出し、今春の県大会を制すなど、甲子園へあと一歩。一校取り残された形の西東京・専大附が幻の甲子園から70年、悲願を達成するには・・・余程経営陣が悲願の思いを強くしない限り、あの校風では西東京の強豪校の壁を破る奇跡は無いでしょうな。
専大附高
専大附属野球部
熱戦が繰り広げられている甲子園、94回目の夏。
これは、ちょうど昨年の夏、今頃に読んだ物。
2010年に出版された物で存在を知らず書店で見つけた時、こういう物は文庫にならないだろうからと単行本を即買い。
先日、書店に行ったら、なんと文庫本新刊として並んでいた。まぁ、それは良いけど・・・。
昭和17年の幻の甲子園の存在を知ったのは高校の時でした、たいそう興味を抱き、当時の新聞記事などを探した憶えがあります。
その大会を題材にノンフィクションとして刊行されるとは嬉しい嬉しい。
書籍の刊行だけでなくNHKではこれを題材に番組を作っていたんですね。ちいとも知らなかった。見たかったな、そのノンフィクション番組。
当時の球児を訪問して取材する早坂隆。読んでいてワクワクします。
ただ単純に野球の経過を書き連ねただけでも充分に面白い読み物になるというのは「大洋ホエールズ誕生前」で経験済み。
それにしても戦時下で練習もままならなかったという事情もあってか、投手の制球が滅茶苦茶良くない。現在から見るとかなり低いレベル。球場内外では球児の活躍で盛り上がっている様子も書かれているけど、この展開は見ていてしんどいだろうな。
戦争により翻弄された球児たちの物語を通じて・・・。
終戦の夏は、戦争に思いを巡らす季節なのですな。
アニメ「巨人の星」で育った者は尚更。あのマンガは飛雄馬の物語よりも、途中で差し挟まれる戦争の及ぼした野球の悲話(ほぼ実話エピソード)が断然面白かった。
戦争の記憶を忘れないため、野球という国民的スポーツはとても重要な位置にある事は、ある意味、間違いありません。
昭和17年6月5日に始まったミッドウェー海戦大敗直後の6月24日、文部省が前年中止になっていた甲子園大会の開催を知らせる通達を出した。だが、大会の主催者は大阪朝日新聞社ではなく、文部省だった。
今も朝日新聞社の記録では「昭和16年〜20年 戦争で中止」となっている甲子園大会が、なぜ昭和17年夏だけ文部省によって開催されたのか?戦意高揚のため特異な戦時ルールが適用され、「選手」としてではなく「選士」として出場し選手交代も認められず、大会後は「兵士」として戦場へ向かった多くの球児たちの数奇な運命を辿る傑作ノンフィクション。
この大会がもし、正式に全国高等(中等)学校野球選手権として認められたなら・・・
出場高の大会前出場回数と現在の出場回数を記しておきましょう。
出場校名 (幻の甲子園までの春出場回数、夏出場回数)(現在までの春出場回数、夏出場回数)春、夏、優勝、準優勝実績。(現校名)
徳島商業(4、2)(19、23)選抜優勝1回、選手権準優勝1回(徳島商高)
平安中学(13、10)(36、31)選手権優勝3回、準優勝4回 (龍谷大平安)
広島商業(8、6)(21、22)選抜優勝1回、準優勝1回、選手権優勝6回、準優勝1回(広島商高)
海草中学(9、6)(15、7)選手権優勝2回、準優勝1回 (向陽高校)
一宮中学(3、0)(3、0)選抜準優勝1回(一宮高校)
仙台一中(0、2)(0、3)(仙台一高)
福岡工業(4、4)(5、4)(福岡工高)
水戸商業(0、2)(4、10)選抜準優勝1回(水戸商高)
市岡中学(7、10)(11、10)選手権準優勝1回(市岡高校)
松本商業(8、8)(15、35)選抜準優勝2回、選手権優勝1回、準優勝1回(松商学園)
大分商業(2、5)(5、14)(大分商高)
北海中学(1、14)(12、35)選抜準優勝1回(北海高校)
台北工業(0、3)(0、3)(台湾)
敦賀商業(1、10)(4、17)(敦賀商高)
滝川中学(5、1)(12、7)(滝川高校)
京王商業(0、0)(0、0)(専大附高)
本当の意味で幻の大会となっているのは初戦で優勝した徳島商に敗れた京王商(現・専大附)
専大には全国で4つの付属高があるが、専大北上は畠山(ヤクルト)を輩出した北の強豪。
昨年は熊本の専大玉名が初出場を果たしている。専大松戸も上沢(日本ハム)を輩出し、今春の県大会を制すなど、甲子園へあと一歩。一校取り残された形の西東京・専大附が幻の甲子園から70年、悲願を達成するには・・・余程経営陣が悲願の思いを強くしない限り、あの校風では西東京の強豪校の壁を破る奇跡は無いでしょうな。
専大附高
専大附属野球部