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Channel: JOEは来ず・・・ (旧Mr.Bation)
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訃報 稲葉光雄投手コーチ(中日)

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中日・稲葉コーチ、脳内出血で急死…2軍広島戦中に体調不良訴え病院搬送

中日の稲葉光雄2軍投手コーチが11日、脳内出血のため名古屋市内の病院で死去した。63歳だった。稲葉氏はこの日、ナゴヤ球場で行われたウエスタンリーグ・広島戦の試合中に体調不良を訴えた。その後、病院に搬送されたが、午後8時39分、帰らぬ人となった。葬儀等の日程は決まり次第、球団から発表される。

突然の悲報だった。連日の酷暑が続くナゴヤ球場でのデーゲーム。午後0時半開始の試合にいつも通りその姿はあった。「手がしびれるんだよな…」。ベンチで周囲に漏らしていた言葉が、信じられぬ現実の予兆になった。

紳士的な笑顔が印象的だった。09年に8年ぶりとなる現場復帰、12年ぶりにドラゴンズブルーの戦闘服に袖を通した。若手投手育成を主に、今季新任の今中2軍投手コーチと共に、球団史上初のリーグ3連覇を目指すチームを支え続けていた。

性格は至って温厚。選手はもちろん、球団関係者や報道関係者にも気さくに声をかけていた。ナゴヤ球場の記者室に頻繁に姿を現しては、旧知の他球団編成担当らと冗談を飛ばし合っていた。(デイリースポーツ)

アンチ巨人に目覚めて、まずは中日ドラゴンズ・ファンとなったので、眼鏡の稲葉投手は当時の憧れの選手。
1972年には巨人相手に3完封6勝を挙げ、20勝投手となった。全く頼もしい存在でした。
ただ、その後の低迷があり(中日ファンとしての集大成1974年のV10阻止の年は、応援歌「燃えよドラゴンズ」でも「三沢も稲葉も水谷も・・・」とその他的に辛うじて歌われていました。)島谷金二らとともに複数トレードで阪急に行ってしまってからは、大洋ファンに鞍替えしたこともあり、あまり興味が無くなってしまった。ごめんなさい。
トレードなどでチームが変わるというのは今以上に大きな衝撃、出来事だったのです。
やはり、名選手の中でも温厚だったり知的だったり、冷静なタイプに憧れるんですよね。燃える男とかはチト、荷でした。

その稲葉さんが古巣の中日に戻り投手コーチとしてバリバリ現場で活躍されている事は選手名鑑で知る程度でした。
63歳。あまりにも早い急死に関係者、遺族の方々の哀しみは如何ばかりと思いますが、
中日のユニフォームで逝けた事が、旧ファンとしては良かったのかな、と…

ご冥福をお祈りいたします。そして、ありがとうございました。

稲葉光雄

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