フリー・ジャズの女王 ピアニスト/作曲家のカーラ・ブレイ死去
フリー・ジャズ・ムーヴメントに大きく貢献し、“フリー・ジャズの女王”とも呼ばれたことあったピアニスト/作曲家のカーラ・ブレイ(Carla Bley)が死去。ニューヨーク・タイムズ紙によると、脳腫瘍の合併症によりニューヨーク州北部の自宅で亡くなっています。87歳でした。
カーラ・ブレイは1936年5月カリフォルニア州オークランド生まれ。本名はLovella May Borg。1950年代にニューヨークに移り住み、伝説的なジャズクラブ「バードランド」でタバコ売りとして働いていたときにジャズピアニストのポール・ブレイ(Paul Bley)と出会い、結婚した。ふたりはツアーを共にし、彼女はオリジナル作品の作曲を始め、1964年のポール・ブレイのアルバム『Barrage』はすべてカーラの作曲で構成されている。数年後の1967年、彼女はポールと別れるが、彼の姓を名乗り、独創的な作曲家として名を馳せた。
ブレイは1971年に彼女の代表作であるジャズ・オペラ『Escalator Over The Hill』を発表。この作品には、リンダ・ロンシュタット、ジャック・ブルース、チャーリー・ヘイデンなど数十人のミュージシャンが参加した。バンドリーダーとしての自身のアルバム以外にも、ピンク・フロイドのドラマー、ニック・メイソンの1981年のソロデビューアルバム『Nick Mason's Fictious Sports』では、全曲の作曲と共同プロデュースを手がけた。
ミュージシャンとしての活動にとどまらず、ブレイはJCOA RecordsとECM配給のWATTという複数のレコード・レーベルを設立し、ドン・チェリーやセシル・テイラーなどの作品をリリースした。また、彼女は2番目の夫であるトランペット奏者のマイケル・マントラーとともに非営利のニューミュージック・ディストリビューション・サービスを設立し、JCOA、ECM、その他のレーベルをより多くの聴衆につなげる手助けをした。同サービスは1972年から1990年まで運営された。
カーラ・ブレイは1972年に作曲でグッゲンハイム・フェローシップを授与された。数十年後の2015年、彼女はジャズに貢献した人物に与えられる称号NEAジャズ・マスターズに認定された。ブレイの最後のアルバムは2020年リリースの『Life Goes On』だった。
amass_________________________________________________________
ジャズ・コンポーザー、アレンジャー、ピアニストとして活躍したカーラ・ブレイ
20代の頃、「Heavy Heart」のLPを買って良く聴いたもんです。
当時フュージョン系のサウンドを毛嫌いしていた感じがあるんですが、これなら好きってなりました。
カーラ・ブレイはあの爆発したような独特のボブヘアが印象的で、高齢になってもビジュアルとして強烈な印象を残しカッコ良いのです。
中古レコード漁っててカーラ・ブレイの盤に当たると(滅多にない事なんですが)ジャケの魅力でついつい手が止まてしまう。
と言いつつ持参音源は先述の「Heavy Heart」LP1枚きり。
しかし、今はサブスクの時代。聴いてみたいと思えばいろいろ聴ける時代になりました。
ピアニストとしてのカーラ・ブレイをほとんど聴いてないので、聴いてみましょう。
そしてYOU TUBEで見つけたこのアルバム
天才音楽家を葬送するなら天才自身がさらなる天才を料理したこれが相応しいでしょう。
The Carla Bley Band - 8 1/2
人生パーティ。 カーラ・ブレイ安らかに。
フリー・ジャズ・ムーヴメントに大きく貢献し、“フリー・ジャズの女王”とも呼ばれたことあったピアニスト/作曲家のカーラ・ブレイ(Carla Bley)が死去。ニューヨーク・タイムズ紙によると、脳腫瘍の合併症によりニューヨーク州北部の自宅で亡くなっています。87歳でした。
カーラ・ブレイは1936年5月カリフォルニア州オークランド生まれ。本名はLovella May Borg。1950年代にニューヨークに移り住み、伝説的なジャズクラブ「バードランド」でタバコ売りとして働いていたときにジャズピアニストのポール・ブレイ(Paul Bley)と出会い、結婚した。ふたりはツアーを共にし、彼女はオリジナル作品の作曲を始め、1964年のポール・ブレイのアルバム『Barrage』はすべてカーラの作曲で構成されている。数年後の1967年、彼女はポールと別れるが、彼の姓を名乗り、独創的な作曲家として名を馳せた。
ブレイは1971年に彼女の代表作であるジャズ・オペラ『Escalator Over The Hill』を発表。この作品には、リンダ・ロンシュタット、ジャック・ブルース、チャーリー・ヘイデンなど数十人のミュージシャンが参加した。バンドリーダーとしての自身のアルバム以外にも、ピンク・フロイドのドラマー、ニック・メイソンの1981年のソロデビューアルバム『Nick Mason's Fictious Sports』では、全曲の作曲と共同プロデュースを手がけた。
ミュージシャンとしての活動にとどまらず、ブレイはJCOA RecordsとECM配給のWATTという複数のレコード・レーベルを設立し、ドン・チェリーやセシル・テイラーなどの作品をリリースした。また、彼女は2番目の夫であるトランペット奏者のマイケル・マントラーとともに非営利のニューミュージック・ディストリビューション・サービスを設立し、JCOA、ECM、その他のレーベルをより多くの聴衆につなげる手助けをした。同サービスは1972年から1990年まで運営された。
カーラ・ブレイは1972年に作曲でグッゲンハイム・フェローシップを授与された。数十年後の2015年、彼女はジャズに貢献した人物に与えられる称号NEAジャズ・マスターズに認定された。ブレイの最後のアルバムは2020年リリースの『Life Goes On』だった。
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ジャズ・コンポーザー、アレンジャー、ピアニストとして活躍したカーラ・ブレイ
20代の頃、「Heavy Heart」のLPを買って良く聴いたもんです。
当時フュージョン系のサウンドを毛嫌いしていた感じがあるんですが、これなら好きってなりました。
カーラ・ブレイはあの爆発したような独特のボブヘアが印象的で、高齢になってもビジュアルとして強烈な印象を残しカッコ良いのです。
中古レコード漁っててカーラ・ブレイの盤に当たると(滅多にない事なんですが)ジャケの魅力でついつい手が止まてしまう。
と言いつつ持参音源は先述の「Heavy Heart」LP1枚きり。
しかし、今はサブスクの時代。聴いてみたいと思えばいろいろ聴ける時代になりました。
ピアニストとしてのカーラ・ブレイをほとんど聴いてないので、聴いてみましょう。
そしてYOU TUBEで見つけたこのアルバム
天才音楽家を葬送するなら天才自身がさらなる天才を料理したこれが相応しいでしょう。
The Carla Bley Band - 8 1/2
人生パーティ。 カーラ・ブレイ安らかに。