藤圭子さん自殺と断定…頭部から大量出血
22日午前7時ごろ、東京・西新宿の28階建て高層マンションの13階から飛び降り自殺を図り、救急搬送先の病院で亡くなった藤圭子さん(享年62)。
飛び降りた部屋は30代の知人男性宅で、藤さんはTシャツ&短パンという部屋着姿であおむけに倒れ、頭部から大量出血していたという。
現場は丸ノ内線西新宿駅から徒歩7分ほどで約400世帯が入居する都市型の高層マンション。近隣住民は「きれいな人だったけど、昔の姿しか知らないからねぇ。まさか近くにいるとは思わないですよ」と驚きを隠せない。
「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」などで一時代を築いた元歌姫の訃報に、午前中から約100人の報道陣が現場に駆けつけ、辺りは騒然となった。
通勤途中に事故現場を目撃した50代男性は「女性が倒れていて、血のりが道路じゅうに広がっていた。警察官が20人くらい集まっていてタダ事ではない雰囲気だった。消防車も1台来ていて人がたくさん集まってきた」と現場の物々しさを語る。
新宿署は「事故当時、ベランダに接している部屋とは別の部屋で知人男性は就寝中で、異変に気づいていなかった。ベランダの外側のへりに、藤はんがはいていたスリッパの片方が乗っかっており、藤さんの意思でへりに立ったことは間違いない。部屋に争った形跡もなく藤さんの着衣に乱れもないことなどから自殺と断定している」。
遺書は見つかっていない。藤さんはこの部屋に5年ほど前から出入りしていたとの情報もある。
東スポWeb
_________________________________________
ほっかいどーのけいこたん!
訃報の中でも自殺というのは、どうもね・・・
何があったのかは知る由もありません、ただただ、驚きました。
ニュースではやっぱり宇多田ヒカルの母と報道されたりするのが哀しい。
我々世代にとっては宇多田ヒカルこそ藤圭子の娘でしかないんですけど・・・。時代の流れだからしょうがないけど。
藤 圭子/命預けます (1970年)
新宿の女-藤圭子-
やっぱり演歌なんですかね。演歌は好きじゃないけれど、この手の怨歌は当時から嫌いじゃなかった。今、聴くと、もう大好き。
「夢は夜ひらく」は本当にセンセーショナルでした。カバー曲ですが元歌の園まりと比べても数倍カッコ良かったですから。
細身にジーンズ、おかっぱヘアに卵に目鼻という顔だちに子供心にエロさを感じてたもんです。
藤 圭子(ふじ けいこ、1951年7月5日 - 2013年8月22日)は、日本の演歌歌手。本名、阿部 純子(あべ じゅんこ)。
岩手県一関市生まれ、北海道旭川市育ち。1960年代終わりから1970年代初めにかけて一世を風靡した。夜の世界に生きる女の感情を描いた暗く陰鬱な歌(『怨歌』)を、伸びやかかつ深々と歌い上げた。
前夫は音楽プロデューサーの宇多田照實、娘は音楽家の宇多田ヒカル。元夫は演歌歌手の前川清。
幼い頃から浪曲歌手の父・阿部壮(つよし)、三味線瞽女の母・竹山澄子(2010年に死去。享年80)の門付に同行。旅回りの生活を送り、自らも歌った。勉強好きで成績優秀だったが、貧しい生活を支えるために、高校進学を断念[1]。17歳の時に『さっぽろ雪まつり』のステージで歌う姿がレコード会社の関係者の目に留まり、上京。歌手デビューする。1969年9月25日、RCAレコードより「新宿の女」でデビュー。
以後、作詞家の石坂まさをと組んでヒット曲を連発。女性ハスキーヴォイスの先駆者青江三奈をも凌ぐドスの効いた声は、当時の社会に衝撃を与えた。ファーストアルバム「新宿の女」は20週連続1位、間を置かずリリースされたセカンドアルバム「女のブルース」は17週連続1位を記録。計37週連続1位という空前絶後の記録を残す。そのヒットから、テレビアニメ『さすらいの太陽』のヒロインのモデルにもなった。1974年、喉のポリープの手術を受け、かつてよりやさしい声となる。引退と復帰を繰り返すうちに人気を失っていく。
2013年8月22日午前7時頃、東京都新宿区のマンションの前で倒れているのが発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。同マンションにある知人宅から飛び降り自殺したと見られている。
(Wikipedia)
これだけのヒット・メーカーでしたから歌謡映画にも何本か出ています。
どれだったかTVで見て痺れた記憶があるのですが・・・。
阿佐ヶ谷の番組などでかかると、見ようと思うのですがいつもスケジュール等の問題で先送りしていました。
「盛り場流し歌 新宿の女」「ずべ公番長 夢は夜ひらく」「涙の流し歌 命預けます」「女子学園 やばい卒業」「藤圭子 わが歌のある限り」
全部まとめて鑑賞したいです。
ご冥福をお祈りいたします。
22日午前7時ごろ、東京・西新宿の28階建て高層マンションの13階から飛び降り自殺を図り、救急搬送先の病院で亡くなった藤圭子さん(享年62)。
飛び降りた部屋は30代の知人男性宅で、藤さんはTシャツ&短パンという部屋着姿であおむけに倒れ、頭部から大量出血していたという。
現場は丸ノ内線西新宿駅から徒歩7分ほどで約400世帯が入居する都市型の高層マンション。近隣住民は「きれいな人だったけど、昔の姿しか知らないからねぇ。まさか近くにいるとは思わないですよ」と驚きを隠せない。
「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」などで一時代を築いた元歌姫の訃報に、午前中から約100人の報道陣が現場に駆けつけ、辺りは騒然となった。
通勤途中に事故現場を目撃した50代男性は「女性が倒れていて、血のりが道路じゅうに広がっていた。警察官が20人くらい集まっていてタダ事ではない雰囲気だった。消防車も1台来ていて人がたくさん集まってきた」と現場の物々しさを語る。
新宿署は「事故当時、ベランダに接している部屋とは別の部屋で知人男性は就寝中で、異変に気づいていなかった。ベランダの外側のへりに、藤はんがはいていたスリッパの片方が乗っかっており、藤さんの意思でへりに立ったことは間違いない。部屋に争った形跡もなく藤さんの着衣に乱れもないことなどから自殺と断定している」。
遺書は見つかっていない。藤さんはこの部屋に5年ほど前から出入りしていたとの情報もある。
東スポWeb
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ほっかいどーのけいこたん!
訃報の中でも自殺というのは、どうもね・・・
何があったのかは知る由もありません、ただただ、驚きました。
ニュースではやっぱり宇多田ヒカルの母と報道されたりするのが哀しい。
我々世代にとっては宇多田ヒカルこそ藤圭子の娘でしかないんですけど・・・。時代の流れだからしょうがないけど。
藤 圭子/命預けます (1970年)
新宿の女-藤圭子-
やっぱり演歌なんですかね。演歌は好きじゃないけれど、この手の怨歌は当時から嫌いじゃなかった。今、聴くと、もう大好き。
「夢は夜ひらく」は本当にセンセーショナルでした。カバー曲ですが元歌の園まりと比べても数倍カッコ良かったですから。
細身にジーンズ、おかっぱヘアに卵に目鼻という顔だちに子供心にエロさを感じてたもんです。
藤 圭子(ふじ けいこ、1951年7月5日 - 2013年8月22日)は、日本の演歌歌手。本名、阿部 純子(あべ じゅんこ)。
岩手県一関市生まれ、北海道旭川市育ち。1960年代終わりから1970年代初めにかけて一世を風靡した。夜の世界に生きる女の感情を描いた暗く陰鬱な歌(『怨歌』)を、伸びやかかつ深々と歌い上げた。
前夫は音楽プロデューサーの宇多田照實、娘は音楽家の宇多田ヒカル。元夫は演歌歌手の前川清。
幼い頃から浪曲歌手の父・阿部壮(つよし)、三味線瞽女の母・竹山澄子(2010年に死去。享年80)の門付に同行。旅回りの生活を送り、自らも歌った。勉強好きで成績優秀だったが、貧しい生活を支えるために、高校進学を断念[1]。17歳の時に『さっぽろ雪まつり』のステージで歌う姿がレコード会社の関係者の目に留まり、上京。歌手デビューする。1969年9月25日、RCAレコードより「新宿の女」でデビュー。
以後、作詞家の石坂まさをと組んでヒット曲を連発。女性ハスキーヴォイスの先駆者青江三奈をも凌ぐドスの効いた声は、当時の社会に衝撃を与えた。ファーストアルバム「新宿の女」は20週連続1位、間を置かずリリースされたセカンドアルバム「女のブルース」は17週連続1位を記録。計37週連続1位という空前絶後の記録を残す。そのヒットから、テレビアニメ『さすらいの太陽』のヒロインのモデルにもなった。1974年、喉のポリープの手術を受け、かつてよりやさしい声となる。引退と復帰を繰り返すうちに人気を失っていく。
2013年8月22日午前7時頃、東京都新宿区のマンションの前で倒れているのが発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。同マンションにある知人宅から飛び降り自殺したと見られている。
(Wikipedia)
これだけのヒット・メーカーでしたから歌謡映画にも何本か出ています。
どれだったかTVで見て痺れた記憶があるのですが・・・。
阿佐ヶ谷の番組などでかかると、見ようと思うのですがいつもスケジュール等の問題で先送りしていました。
「盛り場流し歌 新宿の女」「ずべ公番長 夢は夜ひらく」「涙の流し歌 命預けます」「女子学園 やばい卒業」「藤圭子 わが歌のある限り」
全部まとめて鑑賞したいです。
ご冥福をお祈りいたします。