今回は恥ずかしながらの失敗談です・・・。
「午後の網目」をYOU TUBE観賞して、そういえば「鏡の中のマヤ・デレン」シアター・イメージフォーラムでまたやらないかなぁ。なんて書いてたら、偶然にもさっそく再上映されてるって事で観に行きました。映画の日。
スケジュール都合で時間が余りますので、まずは劇場に行きチケット確保。渋谷で時間を潰します。映画の日は混む場合が多いですからね。
渋谷TSUTAYAで物色するも結局迷った末に何も借りず・・・。
上映前にイメージフォーラムに戻って入場を待つ。なぁ~んだ観客はつ離れしないガラ空き状態。整理番号越えてもゆっくりとさて入場しようと思ったら、財布に入れていたチケットが見つからない。ポケットすべて確認しても見つからない・・・紛失。
おねいさんに「チケットないと入れませんよね・・・」真っ赤になって聞いても「探してください。ポケットとかに無いですか?」そりゃそうですよね。でも、無いんですよねぇ~。
TSUTAYAでTカードを探そうとした時、落としたのかもしれない。自分の性格からしてこういう事は多々あるので、普段から充分に充分に充分に念を押して気を付けているのに、それでも抜かる事がある。
会場はガラガラだし、映画の日で1,100円なのでチケット再購入も考えたんだけれど、ちょっと自分に頭にきた事もあって、縁が無かった事として諦めようと決断。
すごすごと帰りました。上映時間からして休日しか観賞はできませんので、今回も見送りでござんす。
「マヤ・デレン全映画」はYOU TUBEでも見れますので、腹いせに観てやりました。
「午後の網目」 Meshes of the Afternoon
1943年
道に落ちている花一輪。少女の影がそれを拾い、やがて少女は玄関の扉を鍵で開けて家に入る。部屋のなかにはパン切りナイフや受話器の外れた電話。少女は階段を上る。風にたなびくカーテンと空転するレコード。少女は椅子に座り、瞳を閉じる。その傍らに同じ少女が立ち、窓の外を眺める。夢のような景色…… デレンは夢を媒介にしながら、内面の探求に向かうが、同時に映画そのもの構造をも探求した傑作。
「陸地にて」 At Land
1944年
海岸に打ち寄せられ横たわるデレンの身体。流木の間を這い上がってゆくと、そこには正装をした紳士淑女たちがチェスに興じている。官能的、触覚的作品。
女流アートの匍匐前進。チリチリパーマ。
「カメラのための振付けの研究」 A Study in Choreography for Camera
1945年
ダンサーが森、アパート、美術館の中と、様々な空間の中を踊る。緻密に計算れたカメラの動き、ダンサーとカメラのコラボレーションとしての映画。
森でくねくね。
「変形された時間での儀礼」 Ritual in Transfigured Time
1946年
アパートの部屋を行き来する女。部屋にあらわれる別の女。日常的な所作とダンサーの動きによる儀式。カメラによって創造される儀式的空間と時間。
毛糸くるくる巻き取りダンス。
「暴力についての瞑想」 Meditation on Violence
1948年
室内の白い壁の前で踊る上半身裸の中国武術の演者。野外で衣装を着け、剣を持って踊る。そして再び室内へ。陰と陽の構成が重視されている。
舞踏映像を延々と見せられても・・・退屈な10数分。
「夜の深み」 The Very Eye of Night
1952年~59年
星空に男女のダンサーの群舞がネガで重ねられる。ダンスする男女の白い影が夜空に銀河のごとく浮かびながら戯れる。
マヤ・デレンのプラネタリウム 環境的な音楽が良い。
結局、最初の2本が圧倒的に良いという事でした。ダンス映画はちょっと合いませんでした。
「鏡の中のマヤ・デレン」今後、観る機会あるでしょうか。
「午後の網目」をYOU TUBE観賞して、そういえば「鏡の中のマヤ・デレン」シアター・イメージフォーラムでまたやらないかなぁ。なんて書いてたら、偶然にもさっそく再上映されてるって事で観に行きました。映画の日。
スケジュール都合で時間が余りますので、まずは劇場に行きチケット確保。渋谷で時間を潰します。映画の日は混む場合が多いですからね。
渋谷TSUTAYAで物色するも結局迷った末に何も借りず・・・。
上映前にイメージフォーラムに戻って入場を待つ。なぁ~んだ観客はつ離れしないガラ空き状態。整理番号越えてもゆっくりとさて入場しようと思ったら、財布に入れていたチケットが見つからない。ポケットすべて確認しても見つからない・・・紛失。
おねいさんに「チケットないと入れませんよね・・・」真っ赤になって聞いても「探してください。ポケットとかに無いですか?」そりゃそうですよね。でも、無いんですよねぇ~。
TSUTAYAでTカードを探そうとした時、落としたのかもしれない。自分の性格からしてこういう事は多々あるので、普段から充分に充分に充分に念を押して気を付けているのに、それでも抜かる事がある。
会場はガラガラだし、映画の日で1,100円なのでチケット再購入も考えたんだけれど、ちょっと自分に頭にきた事もあって、縁が無かった事として諦めようと決断。
すごすごと帰りました。上映時間からして休日しか観賞はできませんので、今回も見送りでござんす。
「マヤ・デレン全映画」はYOU TUBEでも見れますので、腹いせに観てやりました。
「午後の網目」 Meshes of the Afternoon
1943年
道に落ちている花一輪。少女の影がそれを拾い、やがて少女は玄関の扉を鍵で開けて家に入る。部屋のなかにはパン切りナイフや受話器の外れた電話。少女は階段を上る。風にたなびくカーテンと空転するレコード。少女は椅子に座り、瞳を閉じる。その傍らに同じ少女が立ち、窓の外を眺める。夢のような景色…… デレンは夢を媒介にしながら、内面の探求に向かうが、同時に映画そのもの構造をも探求した傑作。
「陸地にて」 At Land
1944年
海岸に打ち寄せられ横たわるデレンの身体。流木の間を這い上がってゆくと、そこには正装をした紳士淑女たちがチェスに興じている。官能的、触覚的作品。
女流アートの匍匐前進。チリチリパーマ。
「カメラのための振付けの研究」 A Study in Choreography for Camera
1945年
ダンサーが森、アパート、美術館の中と、様々な空間の中を踊る。緻密に計算れたカメラの動き、ダンサーとカメラのコラボレーションとしての映画。
森でくねくね。
「変形された時間での儀礼」 Ritual in Transfigured Time
1946年
アパートの部屋を行き来する女。部屋にあらわれる別の女。日常的な所作とダンサーの動きによる儀式。カメラによって創造される儀式的空間と時間。
毛糸くるくる巻き取りダンス。
「暴力についての瞑想」 Meditation on Violence
1948年
室内の白い壁の前で踊る上半身裸の中国武術の演者。野外で衣装を着け、剣を持って踊る。そして再び室内へ。陰と陽の構成が重視されている。
舞踏映像を延々と見せられても・・・退屈な10数分。
「夜の深み」 The Very Eye of Night
1952年~59年
星空に男女のダンサーの群舞がネガで重ねられる。ダンスする男女の白い影が夜空に銀河のごとく浮かびながら戯れる。
マヤ・デレンのプラネタリウム 環境的な音楽が良い。
結局、最初の2本が圧倒的に良いという事でした。ダンス映画はちょっと合いませんでした。
「鏡の中のマヤ・デレン」今後、観る機会あるでしょうか。