「コングレス未来学会議」2013年 イスラエル・ドイツ・ポーランド・ルクセンブルク・フランス・ベルギー 監督:アリ・フォルマン
2014年、俳優の絶頂期の容姿をスキャンし、そのデジタルデータを映画会社が好きなように使って映像を作り出すというビジネスが誕生。40歳を超え、女優としてのピークは過ぎ去ってしまったロビン・ライトは、子供たちのためにある決断をする。彼女は大金を得る代わりに、最後の仕事として新ビジネスの申し出を受けるが……。
個人的に今年はSF映画の当たり年らしい。渋い作品にどんどん出会うな。
スタニスワフ・レムのSF小説「泰平ヨンの未来学会議」を基にした、「戦場でワルツを」(これ結局見逃してるんだよね)のアリ・フォルマンが実写とアニメを融合させて作った本作も、難解で奇妙な作品ではあるけれど魅力的な佳作で気に入ってしまった。
前半の実写パートにおけるアンチ・ハリウッド的な皮肉たっぷりな題材。ロビン・ライトやキアヌ・リーブスといった俳優を実名で登場させ、CG全盛の映画界には本当にありそうな・・・。いや、実際にCG技術は既にその域に達している。この部分は未来SFではない、どこまで本当なのかという現実なわけですね。勿論、現在、俳優のいらない時代にはなっていないけれど、なろうと思えばいつでも実現する技術的背景は既に整ってるって感じ。
マネージャーのアル(ハーヴェイ・カイテル)による映画界を皮肉った台詞の数々が痛快。
契約に踏み切ったロビン・ライトがデジタル・データをスキャニングする際に、彼女を落ち着かせるためにアルが物語る過去。それによってロビン・ライトの境遇が浮かび上がる。ハーヴェイ・カイテルは最初、あまりにもレザボア・ドッグスのイメージが強すぎて馴染めなかったけれどこのシーンで見事に払拭。
未来SFは後半のアニメ・パートにある。この構成がとても面白い。未来の世界ではハリウッド大手のミラマウント社では映画なんてもう過去の物でこれからは薬によって誰もがハリウッドスターを体感できるようになると言い出す。
実写パートの前半でロビン・ライトの息子アラン(視力や聴覚が衰える難病を抱えている)の聴覚テストで、医師の発する言葉を微妙に聴きちがえて回答する場面、刺激を与える事のみによって自分なりの解釈をする未来の映画感になぞらえてるのも面白かった。
実写パートからアニメパートへの移行「ここからはアニメーション限定地域です」なんて?
・・・後半のアニメパートの難解さは正直言って自分には消化しきれない。
ロビン・ライトのCGデータの契約が切れる20年後に飛ぶわけだけれど、前半と後半ではまるで別の2つのお話のようになってしまっていて、面食らってしまう。
ただ、アニメパートのサイケデリックでグニョグニョな感じは今敏「パプリカ」の影響が見てとれ、好きな身としては堪りません。
現実と幻覚の境目が解らなくなり、また、逃避する人々にとってユートピアなのかディストピアなのか、SFとしてのゾッとする感覚もちゃんと味わえる。
実はこのアニメパートのタッチ、ポパイやベティ・ブープのマックス・フライシャーという方のタッチへのオマージュなんだとか。
「イエローサブマリン」や劇場アニメの傑作「ビーバス&バッドヘッド」を思い出したし、宮崎の世界感にも通じるものが・・・
日本のアニメーションと比べると、やや不安定というか儚げな感じで、それが面白い。技量の問題なのか、狙いなのか。
オマージュといえば音楽でシューベルトのAndante Con Motoが使われていたり、明らかに見憶えのある爆撃機の飛んでいる絵が出てきたかと思うとそのまま「ストレンジ・ラブ」な展開になったりキューブリックへの傾倒とかがあるし、他にも自分の気付かない所で沢山そのようなものが散りばめてあるに違いない。
アニメの背景の元ネタを探しているだけでも楽しめるもの。
60歳のロビン・ライトの歌うボブ・ディラン「Forever Young」はディランで聴きなれているとあまりにも綺麗事な感じで好ましくないけれど、その他の音楽は極めて良いし、「Forever Young」のシーンは歌声はともかく、映画のシーンとしてはとても感動的ではあるのです。
アニメーションの世界で出会ったディラン・トゥルーリナーという20年間ロビン・ライトのCG制作を担当するアニメーター「ロビン部」部長とのラブ・ロマンス。
母として障害を持つ息子への愛。革命戦士となった娘。
難解な中に組み入れられている豊富な要素が、難解だからこそなのか、詰込み過ぎ感が無くって、これが実に良いんですよね。
原作は随分違う内容らしい。この映画のおかげで復刻されたので読んでみたくなります。久しぶりの読書欲。
スタニスワフ・レム。なにしろ「ソラリス」の原作者ですもんね。
「戦場でワルツを」どこかでリバイバル上映せんかな。
本作との2本立てだったなら、もう一回観るのも吝かでないよ。
シネマカリテ新宿
2014年、俳優の絶頂期の容姿をスキャンし、そのデジタルデータを映画会社が好きなように使って映像を作り出すというビジネスが誕生。40歳を超え、女優としてのピークは過ぎ去ってしまったロビン・ライトは、子供たちのためにある決断をする。彼女は大金を得る代わりに、最後の仕事として新ビジネスの申し出を受けるが……。
個人的に今年はSF映画の当たり年らしい。渋い作品にどんどん出会うな。
スタニスワフ・レムのSF小説「泰平ヨンの未来学会議」を基にした、「戦場でワルツを」(これ結局見逃してるんだよね)のアリ・フォルマンが実写とアニメを融合させて作った本作も、難解で奇妙な作品ではあるけれど魅力的な佳作で気に入ってしまった。
前半の実写パートにおけるアンチ・ハリウッド的な皮肉たっぷりな題材。ロビン・ライトやキアヌ・リーブスといった俳優を実名で登場させ、CG全盛の映画界には本当にありそうな・・・。いや、実際にCG技術は既にその域に達している。この部分は未来SFではない、どこまで本当なのかという現実なわけですね。勿論、現在、俳優のいらない時代にはなっていないけれど、なろうと思えばいつでも実現する技術的背景は既に整ってるって感じ。
マネージャーのアル(ハーヴェイ・カイテル)による映画界を皮肉った台詞の数々が痛快。
契約に踏み切ったロビン・ライトがデジタル・データをスキャニングする際に、彼女を落ち着かせるためにアルが物語る過去。それによってロビン・ライトの境遇が浮かび上がる。ハーヴェイ・カイテルは最初、あまりにもレザボア・ドッグスのイメージが強すぎて馴染めなかったけれどこのシーンで見事に払拭。
未来SFは後半のアニメ・パートにある。この構成がとても面白い。未来の世界ではハリウッド大手のミラマウント社では映画なんてもう過去の物でこれからは薬によって誰もがハリウッドスターを体感できるようになると言い出す。
実写パートの前半でロビン・ライトの息子アラン(視力や聴覚が衰える難病を抱えている)の聴覚テストで、医師の発する言葉を微妙に聴きちがえて回答する場面、刺激を与える事のみによって自分なりの解釈をする未来の映画感になぞらえてるのも面白かった。
実写パートからアニメパートへの移行「ここからはアニメーション限定地域です」なんて?
・・・後半のアニメパートの難解さは正直言って自分には消化しきれない。
ロビン・ライトのCGデータの契約が切れる20年後に飛ぶわけだけれど、前半と後半ではまるで別の2つのお話のようになってしまっていて、面食らってしまう。
ただ、アニメパートのサイケデリックでグニョグニョな感じは今敏「パプリカ」の影響が見てとれ、好きな身としては堪りません。
現実と幻覚の境目が解らなくなり、また、逃避する人々にとってユートピアなのかディストピアなのか、SFとしてのゾッとする感覚もちゃんと味わえる。
実はこのアニメパートのタッチ、ポパイやベティ・ブープのマックス・フライシャーという方のタッチへのオマージュなんだとか。
「イエローサブマリン」や劇場アニメの傑作「ビーバス&バッドヘッド」を思い出したし、宮崎の世界感にも通じるものが・・・
日本のアニメーションと比べると、やや不安定というか儚げな感じで、それが面白い。技量の問題なのか、狙いなのか。
オマージュといえば音楽でシューベルトのAndante Con Motoが使われていたり、明らかに見憶えのある爆撃機の飛んでいる絵が出てきたかと思うとそのまま「ストレンジ・ラブ」な展開になったりキューブリックへの傾倒とかがあるし、他にも自分の気付かない所で沢山そのようなものが散りばめてあるに違いない。
アニメの背景の元ネタを探しているだけでも楽しめるもの。
60歳のロビン・ライトの歌うボブ・ディラン「Forever Young」はディランで聴きなれているとあまりにも綺麗事な感じで好ましくないけれど、その他の音楽は極めて良いし、「Forever Young」のシーンは歌声はともかく、映画のシーンとしてはとても感動的ではあるのです。
アニメーションの世界で出会ったディラン・トゥルーリナーという20年間ロビン・ライトのCG制作を担当するアニメーター「ロビン部」部長とのラブ・ロマンス。
母として障害を持つ息子への愛。革命戦士となった娘。
難解な中に組み入れられている豊富な要素が、難解だからこそなのか、詰込み過ぎ感が無くって、これが実に良いんですよね。
原作は随分違う内容らしい。この映画のおかげで復刻されたので読んでみたくなります。久しぶりの読書欲。
スタニスワフ・レム。なにしろ「ソラリス」の原作者ですもんね。
「戦場でワルツを」どこかでリバイバル上映せんかな。
本作との2本立てだったなら、もう一回観るのも吝かでないよ。
シネマカリテ新宿