先頃、職場である本社ビルを売却、移転とあいなりました。
車窓ならぬ社窓からの風景。
陸の孤島、この地、このビルからは鉄ヲタ垂涎の風景が広がる。最大の魅力でした。
電車が見たいから就職した。・・・って事では無いけれど。
「おく」と「おぐ」
尾久駅
当駅の所在地は荒川区の尾久ではなく、開業当時から北区昭和町(開業当時は東京府北豊島郡滝野川町)に位置している。駅の所在地でないにもかかわらず「尾久」が駅名として付けられたのは、開業当時の尾久町が温泉を中心とした東京郊外の遊興地として栄えており、「尾久」という地名が有名であったことがその所以とされる。
駅名の「尾久駅」は「おくえき」と読むが、地名である「尾久」(東尾久・西尾久)は「おぐ」である。この名称の由来に関しては諸説あるが、荒川区の広報によれば、「当時の国鉄(年代上は鉄道省)が、駅名を決める際、『おぐ』は訛りだと思い、『おく』にしてしまった」のだという。
地元住民にとっては「おくえき」でも「おぐえき」でも当駅を指していることに変わりはなく、しばしば「おぐえき」とも呼称されている。道路標識の「尾久駅前」の英字表記は「Oku Sta.」となっている。一方、都営バスの停留所の「尾久駅前」は「おぐえきまえ」である。昭和40年に移転するまで当駅前にあった自動車学校もおぐとしている[3]。
駅内のアナウンスでは、自動、肉声ともに「お」にアクセントが置かれている(「奥」と同じ発音)。
尾久町
尾久車両センター
古くは小学生の頃、ちょっとした鉄ブームがあり、よく来ました。自由研究と称し駅長さんにインタビューしたり。
この地での勤務は1997年から。
車窓ならぬ社窓からの風景。
陸の孤島、この地、このビルからは鉄ヲタ垂涎の風景が広がる。最大の魅力でした。
電車が見たいから就職した。・・・って事では無いけれど。
「おく」と「おぐ」
尾久駅
当駅の所在地は荒川区の尾久ではなく、開業当時から北区昭和町(開業当時は東京府北豊島郡滝野川町)に位置している。駅の所在地でないにもかかわらず「尾久」が駅名として付けられたのは、開業当時の尾久町が温泉を中心とした東京郊外の遊興地として栄えており、「尾久」という地名が有名であったことがその所以とされる。
駅名の「尾久駅」は「おくえき」と読むが、地名である「尾久」(東尾久・西尾久)は「おぐ」である。この名称の由来に関しては諸説あるが、荒川区の広報によれば、「当時の国鉄(年代上は鉄道省)が、駅名を決める際、『おぐ』は訛りだと思い、『おく』にしてしまった」のだという。
地元住民にとっては「おくえき」でも「おぐえき」でも当駅を指していることに変わりはなく、しばしば「おぐえき」とも呼称されている。道路標識の「尾久駅前」の英字表記は「Oku Sta.」となっている。一方、都営バスの停留所の「尾久駅前」は「おぐえきまえ」である。昭和40年に移転するまで当駅前にあった自動車学校もおぐとしている[3]。
駅内のアナウンスでは、自動、肉声ともに「お」にアクセントが置かれている(「奥」と同じ発音)。
尾久町
尾久車両センター
古くは小学生の頃、ちょっとした鉄ブームがあり、よく来ました。自由研究と称し駅長さんにインタビューしたり。
この地での勤務は1997年から。