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Channel: JOEは来ず・・・ (旧Mr.Bation)
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訃報 元横綱 大鵬幸喜

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元横綱大鵬の納谷幸喜さん死去 72歳、幕内優勝32回

歴代最多の32度の幕内優勝を果たし、一時代を築いた元横綱大鵬の納谷幸喜(なや・こうき)さんが19日、死去した。72歳だった。

1940年、樺太(現在のロシア・サハリン)で生まれた。56年に二所ノ関部屋に入門し、同年秋場所で初土俵。身長187センチの恵まれた体ですぐに頭角を現し、60年初場所で新入幕を果たした。3度目の優勝を果たした61年秋場所後、当時では史上最も若い21歳3カ月(現在は北の湖の21歳2カ月に次ぐ歴代2位)で横綱に昇進。ライバルの横綱柏戸と名勝負を繰り広げ、「柏鵬時代」を築き、68年秋場所からは45連勝を記録。当時の子どもたちの好きなものとして「巨人・大鵬・卵焼き」の流行語を生み、高度経済成長期の相撲人気を支えた。

71年夏場所で引退。横綱622勝は北の湖、千代の富士に次いで歴代3位で、幕内746勝は歴代4位。その功績から現役時の名前で親方になれる一代年寄となり、大鵬部屋(現大嶽部屋)を創設。元関脇巨砲らを育てた。

朝日新聞社

やはり、何と言っても大鵬幸喜である。
相撲に興味を持ち始めたのが昭和45年頃で、親にせがんで念願の蔵前国技館に連れていってもらったのが昭和46年初場所中日。後にも先にも生で大相撲を観たのはコレっきり・・・。
当時は貴ノ花(先代)の人気が鰻登りで、連日殊勲の星を挙げ、前年九州場所では負け越したにも関わらず功労賞が与えられていた。この場所でも殊勲の連続だったので楽しみにしていたのだが5日目の大鵬戦で負傷休場となってしまったのでした。当時の新聞スクラップがまだ取ってあるのだが、稚拙な字で「大鵬のバカ」とコメントしている。
観戦した中日は大関前の山に勝っているが、取り組の記憶はまったく無い。そして、この場所大鵬は14勝1敗で最後となる32度目の優勝を果たしたのでした。

そのような事もあって、当時はアンチ大鵬でした。
横綱大鵬が記録だけでなく、いかに素晴らしかったかを認識したのは後年。
そもそも、アンチ巨人になり始めた頃で、巨人と並び称される大鵬を好きになるはずもなく、そんな単純な理由で嫌っていたのですが、今、ウィキペディアで知りました。ご本人もアンチ巨人で「巨人・大鵬・卵焼き」と言われるのを迷惑がっていたとか。
知りませんでした。それは申し訳ない事でした。

大鵬幸喜

てな事を思い出して、昔のスクラップブックをひっくり返して懐かしんでおりました。

優勝記録、白鵬がどこまで迫るのか。抜き去るのか。
外国人力士に抜かせたくないという意思は働かない。大鵬も外国人力士のようなものですから。

ところで、相撲の八百長問題。あれがまったく野暮でんな。
「相撲が八百長と言うのなら、もうとっくに日本人横綱が誕生していておかしくない」とは歌武蔵師匠。

話がそれました。

ご冥福をお祈りいたします。



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