高橋昌也さん呼吸不全で死去していた、83歳
俳優で演出家の高橋昌也さんが16日午後5時55分、呼吸不全のため死去していた。享年83。高橋さんは年末年始も元気に自宅で過ごしていたが、呼吸器系の加療のため訪れた病院で容態が急変し、亡くなった。
葬儀は本人の遺志により家族葬で既に執り行われた。
高橋さんは東京都生まれ。1953年に劇団俳優座公演「襤褸と宝石」の主役で初舞台を踏み、翌年、小沢昭一らと劇団新人会を設立。その後、劇団四季、文学座、雲を経て、75年に演劇集団円の設立に参加。俳優、演出家として幅広く活躍してきた。
70年代後半からは演出に力を入れ、87年銀座セゾン劇場の芸術総監督に就任。「幸せの背くらべ」で96年読売演劇大賞演出家賞を受賞した。
俳優としても映画、テレビで多数の作品に出演し2004年、映画「透光の樹」では日本映画批評家大賞助演男優賞を受賞した。
私生活では93年に末期食道がんをわずらい食道を全摘出したが、奇跡的に回復していた。99年に38歳下の女性と再婚した。趣味の絵画では個展を開くほどで、画家としても活躍していた。
(デイリースポーツ)
昔からテレビの方でお馴染みだった。
この人の役柄はなんだか苦手なタイプのおじさんという印象があるけれど、見た映画では小沢昭一の弟役だった「競輪上人行状記」が印象深いが、同じ劇団だったのですね。
それにしても近影。その風貌が凄い事になってたんですね。白い髭をたくわえ仙人のようです。ある意味カッコ良いと言えましょう。
札幌オリンピック
競輪上人行状記
砂の上の植物群
悶え
吸血鬼ゴケミドロ
日本沈没
ご冥福をお祈りいたします。
俳優で演出家の高橋昌也さんが16日午後5時55分、呼吸不全のため死去していた。享年83。高橋さんは年末年始も元気に自宅で過ごしていたが、呼吸器系の加療のため訪れた病院で容態が急変し、亡くなった。
葬儀は本人の遺志により家族葬で既に執り行われた。
高橋さんは東京都生まれ。1953年に劇団俳優座公演「襤褸と宝石」の主役で初舞台を踏み、翌年、小沢昭一らと劇団新人会を設立。その後、劇団四季、文学座、雲を経て、75年に演劇集団円の設立に参加。俳優、演出家として幅広く活躍してきた。
70年代後半からは演出に力を入れ、87年銀座セゾン劇場の芸術総監督に就任。「幸せの背くらべ」で96年読売演劇大賞演出家賞を受賞した。
俳優としても映画、テレビで多数の作品に出演し2004年、映画「透光の樹」では日本映画批評家大賞助演男優賞を受賞した。
私生活では93年に末期食道がんをわずらい食道を全摘出したが、奇跡的に回復していた。99年に38歳下の女性と再婚した。趣味の絵画では個展を開くほどで、画家としても活躍していた。
(デイリースポーツ)
昔からテレビの方でお馴染みだった。
この人の役柄はなんだか苦手なタイプのおじさんという印象があるけれど、見た映画では小沢昭一の弟役だった「競輪上人行状記」が印象深いが、同じ劇団だったのですね。
それにしても近影。その風貌が凄い事になってたんですね。白い髭をたくわえ仙人のようです。ある意味カッコ良いと言えましょう。
札幌オリンピック
競輪上人行状記
砂の上の植物群
悶え
吸血鬼ゴケミドロ
日本沈没
ご冥福をお祈りいたします。